重松清作の「とんび」を読んでいたが、挫折した。
手に取った(古本サイトでポチった)のは「父と子の絆」という昨今なかなか聞かない題材に惹かれたのがきっかけだった。
ヤスさんの息子アキラの物心つかないうちに、母親である美佐子が亡くなってしまう。シングルになったヤスさんが肉体的にも精神的にも苦労重ねる話かと思いきや、そういった描写はほとんど無しのアットホームストーリーであった。
ALWAYS三丁目の夕日に雰囲気は近しい。
本自体は分厚いけど、アキラの成長記録のようなストーリーなので、まるでアルバムでもめくっているかのようにサラサラと進み、読みやすい。
人物描写よりも時間の流れ重視だ。
アキラが産まれるシーンから、大人になるまでを書かなければならないのでどうしたってキャラクターは薄くなる。
その「人物」、というよりも「設定」ファーストなのだろう。
ヤスさんが幸せのため、それぞれの役割でお膳立てをしてくれる脇役たちは――失礼を承知で言うけれど――さしずめNPCのようだと感じてしまった。
奥さんが亡くなった悲しみよりも、亡くなった後も友人や会社が温かくそして義理堅く面倒をみてくれて、「俺もアキラも幸せもんじゃのう」と陶酔するヤスさん。
幸せなのは結構なのだが、
彼は「最愛の妻の死」をどうやって受け入れられたのか。
最愛の妻が目の前からいなくなるという状況。しかも文字通り目の前で。
どんな葛藤があり、苦しみがあり、覚悟があったのか。
これがあまり重要なファクターを担っていない気がして残念だった。
しかしこれは単に私の好みの問題でもあるだろう。
貶すようなことを書いてしまったが、読了を諦めたのはこれが理由ではない。
本や映画でこれ自分に合わないかもなーってなっても、一応最後まで通して見るようにはしている。
なので今回逆に最後まで読むことすら耐えられなくなったことに一番驚いているのは当の自分だ。
主人公のヤスさん。昭和の頑固オヤジ。
これががうちの母親の生き写しかというぐらい、共通点が多かった。
この時点で自分の家庭環境とどうやっても比較して読んでしまう。
作者のプロフィールをみてみたが、うちの母親と共通しうる点は、出身地が岡山県ということぐらいだった。
県民あるあるとか、正直月刊ムーぐらいの信ぴょう性で観ていたが、あながち地域性も人間の構成物質のひとつなのかもしれない。
逆にヤスさんとうちの母親で違う点は環境に恵まれたかそうでないかだ。
ヤスさんいくらなんでも恵まれすぎじゃない?
まず、妻の美佐子。これが常にニコニコとヤスさんに寄り添い、手料理をたんと作り、「ヤスさんがたくさん食べてくれるのが幸せ」なんて宣う。切迫早産気味で山の中で苦しそうなときも「せっかちさんな赤ちゃんや」みたいな与太を飛ばしたり、赤ちゃんの名前を決めるときも「ヤスさんが決めてくれた名前やったらええ名前に決まってます」なんて言ってのける――要するに三歩下がってついていくタイプの奥さんである。奥さん、もっと自分の意思出していいのよ…って感じること多々。
続いて息子のアキラ。美佐子が亡くなってからもヤスさんの友人知人たちにこれでもかというほどかわいがられ育ったせいか、ぜんっぜん拗れない。ほんとにびっくりするぐらい「いい子」なのである。思春期は学校でトラブルはあったものの(これも別にアキラは悪くない。学校側の問題だと思う)家では暴れることもなく、嫌味がポロッと出るぐらい。社会人になっても聖人なんじゃないかってぐらい離れて暮らす父親を心配する。
いやいやいや
こんな甘ったれた環境存在する訳なかろうが。
どこかで人生の谷間に落ちるのかと思って頑張って読んでいたが、結局これといったイベントは発生せず、アキラは就職して家を出しまった。
あれれ…堕ちてから這い上がるヤスさんがいる世界線どこ…?
と、ここまで読んで
私は「いい子」じゃなかったもんな、とアキラと比較している自分もいた。
また、ここまでしないと自分の家族は幸せになれなかったのだろうかと悲しくもなった。
全子ども達がアキラのようになれれば世の中苦労しないだろうが、そんなものは夢物語である。
これはLALALANDで最後、ライアン・ゴズリングが存在しない記憶を再生していたときのあの感覚に似ているかも。
とにかくこのままでは私のメンタルが持たないと確信し、残り少ないページだったが、読むのを諦めた。
この日の夜は久方ぶりに枕をひっそりと濡らした。
ここまでメンタルをガタつかせてくるという点においてはある意味名作。
ただ、この作品が評価を受けていることは別に不快でも何でもないし、むしろヤスさんに好感を寄せている読者が多かったことに少し安堵している自分もいた。
「親」っていうものは「好き」とか「嫌い」とかそんな単純な指標で図られるものでもなく、それぞれ家庭ごとに特別な事情があり、感情があると思う。
私は過去、家庭ではいろいろあったクチだが、まあ今はこの通り伴侶や子どもにも恵まれ、そこそこ順調に人生を歩んでいる。
こうして本を閉じた後、そのまま古本行きのダンボールへしまい込んだのは言うまでもない。