私は楽しいときも辛いときもムスコの可愛いざかりとは今なのだと思いながら生きてきました。
どの写真を見返していても「ああ、このときは産まれたてで動物の赤ちゃん以上に頼りない。このときはヨチヨチ歩きがあどけない。」のように常かわいいとは形を変えて変遷するものだと。
ここにきて思う。cute,adorable,lovely。この感情は今の時点で爆発しているのです。
イズンシーラーブリィ~~~~♫
今で言えば『ブルーイ』*1、遡って『となりのトロロ』のメイ。これに少しコジコジを足したものがリアルな5歳児だと思って貰えばよろしい。
おねだりの作法ーー親の落とし方もこのあたりで覚えたようで〇〇したいとか〇〇ほしいといったあとには目をキラキラさせる。こちらをまっすぐに見たまま「お願~い」と前のめりになり胸の前で手を揉む。
こういった賢さ、あざとさはある一方、なぜそんなこともわからないのか・・・なんてことも多い。
一緒に戦いごっこをしていると、ヒートアップして硬い棒やプラ製の収納箱を容赦なく私に叩きつけようとしてくる。こちらも対応する術は持っているのでそこまで痛い思いをしたことはないし、徐々に収まっている感ーー親も痛い思いはするということを理解しつつもあるため、見守っている。
こちらに投げかけられる質問も一気に哲学チックになった。
「なんで1は1なの?」というようなこれ以上分解しようがない質問である。「なんで1は1なの?」は例えであって実際に聞かれたわけではないのだけれど、最近聞かれたのでおもしろかったのは「ハンバーガーの神様ってなんなの?」である。
一応説明しておくとハンバーガーの神様とは映画『スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!』にて出てくるセリフの一部である。このセリフが出てくる経緯は説明が長くなるのでぜひ本作を観てみてほしい。
それにしても日本男児の口から「神様って何?」なんてセリフがでてくるなんて世はグローバルなんだなあと実感する。
これが同世代の友人ではなく、5歳の子どもからの純粋な質問という点も特筆に値するところだと思う。
「神様ってなんなんだろねえ」というおいそれと定義できるような存在でないのは承知だけどという前提を含んだニュアンスではなく、この「何?」には犬なの?猫なの?みたいな必ず存在が証明されているはずだという確信をもった聞き方なのである。
こんな聞き方をされると親としては一瞬たじろぐ。
けれど、これははぐらかしても問題を先送りにするだけの人生の根幹に関わる質問のような気もしたので、正直に答えておいた。ここでいう「正直に」とは余計なストーリーをくっつけないということである。こういう出で立ちなのだろうとかこんなときは喜ぶのだろう、怒るのだろうみたいな情報は教えていない。家には一応神棚があるけれど、そのことにも一切触れていない。
もうひとつ「愛ってなに?」という質問もあった。家族三人で食卓を囲んでいるときである。確か「24時間テレビから愛って単語なくなったんだねー」なんて話していたときだった。本当にこうした質問は突拍子もないタイミングで的確に飛び出してくる。「24時間」でも「単語」という語でもなく「愛」という言葉に反応する。
これが5歳児である。
見た目のかわいらしさも残しながら、その五感は確実に一番真理に近いところにある。これは親バカとかとかではなく、この年代はみんなそうなんじゃないかなーと考えた次第なのです。
彼らは絵本を読んでいるとそのなかに本当に入り込んだような素振りをみせる。美味しそうな食べ物があれば、手を近づけていって掴み取り、食べる(振りをする)
なにかに襲われたり追われているキャラクターがいればソっと手で包みこんで逃がしてやる(振りをする)
ぬいぐるみと会話するのもお手のものである。
夏休み中誤って『日本任侠伝 浪速篇』をレンタルしてしまった*2。
せっかくなのでムスコといっしょに観てみようと思い、再生したものの「おもしろくない」と開始10分ぐらいで一蹴されてしまった。こちらの映画も高倉健主演のヤクザ(任侠)映画であり、例に漏れず悪いヤクザが労働者を殴るシーンが出てくる。
これをみたムスコは「大人って殴るの?」「大人は喧嘩しないよねえ」と嫌そうに言ったのである。この子の生きている世界があまりにも綺麗で私は驚いてしまった。
できる限り親としてはその世界観を守ってやりたいものである。