昭和の名作「ガラスの仮面」
当時通っていた学童にこの漫画が置いてあり、繰り返し読んでいました。
ジャンル分けをするなら演劇系スポ根。しかしそれだけに留まらない魅力がこの作品にはあるのです。
以下17巻までのネタバレあり。
天才的な演劇センスを持つ主人公北島マヤ。
彼女を天才にしたのはもともと備わった「才能」だけではありません。彼女の置かれた境遇、環境そして運命のいたずらが「天才」までに留まらず、「狂気」というところにまで昇華します。
マヤは貧困家庭育ち。お父さんは2歳で死別。母子家庭のうえ、ラーメン屋に住み込み。
演劇以外の能力はずば抜けて低いのですが、演劇に関しては能力もさることながら執着もすごい。
出前先にテレビでもあろうものなら、仕事途中であっても見入ってしまう、椿姫の舞台のために大晦日たったひとりでソバの配達をこなす、一度観た劇は完コピできる、など。
マヤの持っているものは、たった一人の母親と演劇なわけですね。
そしてこの母親との死別から本格的な狂気ワールドの始まりとなります。
なんやかんやあって、テレビを中心に売れっ子になっていたマヤ。これまで関わりのあった劇団の友人たちとは疎遠になり(というか事務所から疎遠にさせられ)母親もなかなかに哀しい最期を遂げ、天涯孤独に。
この心の傷を利用し、スキャンダルに巻き込まれ、遂にはスターの座からひきづり降ろされてしまいます。
スターでなくなったあとも事務所側が仕事を取ってきてはくれますが、マヤ自身は悲しみで心がいっぱいいっぱい。唯一の取り柄である芝居すらできなくなります。
完全に人生どん底。「芝居自体やめてしまおう」と思い詰めるほど。
ですが!
最後にしよう、と決心した舞台でモブがやらかします。マヤに嫌がらせをするため小道具の饅頭を泥だんごにすり替えるのです。
これが原因で逆にマヤの演劇根性が倍増して開花。
自分には演劇しかない。「演劇=生きること」これを悟ることになったこのシーンは約20年越しでもしっかり覚えてました。
(ひえー、もうこんなに経つのか)
泥だんごを食べるのはさすがに正気の沙汰ではない。ここで天才を超えた「狂気」への扉が開かれるわけなのです。
自分には「これしかない」となったときののめり込み方。そしてここからののし上がり方(感嘆)
この狂気っぷりは映画「セッション」を思わせます、個人的に。
(ブラムハウスさん、実写化どうですか?)
劇の内容も昔は読み流していたけれど、すっっごい濃密。これだけで別の作品1本できそう。
原作も今はクライマックスでお預け状態。真澄さまは一体どうなってしまうのでしょうか。
美内先生、最新巻待ってます。
では、ここまで読んでいただきありがとうございました。