長々書いていきます。お暇つぶしにぜひ(*^^*)
興味深い記事を発見。
うちの夫と妹が、まさにこの記事通り反抗期がなく育ってきています。
まずはそれぞれの環境と経緯から。
夫の場合。
夫のご両親はともに高齢。当然、昭和気質の子育てで、
「周りと同じかそれ以上にできなければひどく叩かれる」といったことが物心ついたときからあったそうです。
妹の場合。
10代の頃、思春期真っ盛りにも関わらず、親には口答えどころか不満を言うこともめったになく、親との関係は良好な印象。それと付随して自分の意思を発することもめったにありませんでした。
恐らくなのですが、姉であるワタシには妹と違い、猛烈な反抗期がございました。*1杉咲花主演の『夜行観覧車』というドラマわかりますでしょうか?まさにアレ。
親という名の権力をこれでもかと振りかざしてくるので、抵抗してたんですよね。
若いね。
それを目の当たりにしていたから逆に反抗心が無くなってしまったのか。たまたま話す機会があったので、妹に聞いてみましたが、
「そうではない。親の言う通りに動いていても特に損はないから、自分で考えることがなかった」という回答でした。
とはいえ、私としては少し責任も感じております。ああやって家族間の激しい諍いを目の当たりにさせてしまうことは、悪い影響こそあれ、良いことは一つもないでしょうから。たぶんまだ自覚してないだけかなと。
さて、そんな二人と身近に接してきた現在の印象。
妹はそれこそ産まれたときから今までコンスタントに繋がりはありますし、夫も出会いから換算すれば7~8年の付き合いになります。
二人には明確な共通点があって、それは
圧倒的にその場の空気を読むのが下手。
これは「人様の都合であったり、気持ちの部分――目に見えないもの明文化されないもの――を掴んだり、感じ取ること」が苦手というか・・・最早CAN NOT――できないんです。
Yahoo記事の中で、大人になっても自分で物事を判断できない例が紹介されていますが、
これも私が二人に感じている「空気が読めない」というのと近しいと思いました。
すなわち、社会のレールに上手く乗れてない――ずっと親のレールに乗ってるままなんです。
これは息子への対応を見ていても顕著で、
夫は子どもに対して怒るとき「親の言うことは絶対だ!」といった物言いをします。
自分も親からそうやって育てられ、それを正しいと思うからこそ子どもにもそういった指導をしてしまう。
これに関しては私はやめてほしいと思ったので、話し合いをしたのですが
本人としても「コレはよくないのはわかってる。でも自分はこうやって育てられて今普通の社会人がてきているのだから、全く間違いとも言えないのではないか・・・という葛藤はある」と気持ちを吐露してくれました。
夫自身「行間を読む(要するに雰囲気を掴む)の苦手なんだよね・・・」と自覚はあるみたいで、それって「人の気持ちを理解しようとする機会」を奪われ続けた結果ではないかと思うのです。
それが夫自身父親になってみて、子どもに寄り添うとか気持ちを汲み取るではなく、親の言う通りに動かなければならないという思考に最初に行き着いてしまう原因かなと。
映画の楽しみ方ひとつとってもそのクセが出てたりもします。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』をひとつ例に取ってみます。
夫はこの作品、「おもしろくない、登場人物がみんな嫌い」と言います。なのですが船の構造や設定、ガジェットなどの細かい点はよく覚えていて、ブラックパール号は一番速い船だけど、ホニャララ号はホニャホニャのホニャで・・・みたいにとにかく私からすればワケワカメってなるぐらい"船の設定は"好き。
私の場合――『パイレーツ~』に限りませんが、登場人物の掛け合いに人間味を感じたいタイプ。胡散臭いのが逆に良いというか。*2海賊だからこその騙し騙され合い。もはやジャック・スパロウが一番真っ当なのでは?とすら思わせる――ある意味での人間臭さがリアルで「共感」や「感情移入」ができる。
でも、この急に手のひらをくるりんするようなのが夫は駄目らしい。良い人間なら良い人間のままで。悪い人間は悪い人間のままでいないと、作品上の矛盾になって「トータルつまらない話」になる。
私からするといやいや逆でしょだから面白いんでしょ?ってなるのですが、恐らくこれも「何かしらの正しい人間像」を刷り込まれてきてるからだろうなと思いました。『パイレーツ~』に限らずどの作品でもこの傾向が見られるので。
要するに、0と1でしか物事が見れない。数字や理論で示せないものは理解ができない。
機械も人間も同じと考えている・・・というと言い過ぎですが、まあそういう節はあるんですよね。
昔よりはマシになりましたが。
このような対人間生活において0,1――二進数的に生きていこうとすると実生活上矛盾が生じてしまうのがわかりますでしょうか?
これは我が家でよくある光景です。夫は運転中、歩行者でも原付きでも誰でも気に食わないとしょっちゅう文句を言います。いままでワタクシいろんな人に幾度となく車に乗っけてもらう機会はありましたが、そもそも文句を言いながら運転するタイプは夫が初めてで、ちょっと最初は引いたのを覚えています。
やれ原付きのスピードが遅くて邪魔だの、横断歩道のないところ渡るなだの、急に割り込んできやがってだのもうほんとに煩かった。でも彼からすればマナー違反やルール違反が許せなかったんですね。
ですが、自分が歩行者側になるとあら不思議。
普通に車道歩くし、信号のない横断歩道とか左右確認しないで渡ろうとして引かれかけてましたからね。「子どもいるのにやめろよクソが」という殺意とも言える感情をなんとかオブラートに包み伝えたことは一度や二度ではない・・・というか何回言っても暖簾に腕押し感。
他にも事例がいっぱいあるのですが、きりがないのでまた機会があれば記事にしますね(笑
これもその場その場のルールやマナーに従うとこうなるんですよね。
運転者側のときは、車道に飛び出してくる歩行者はルール違反だけど、逆の立場になると歩行者優先の原則が働く。
幼い頃から社会常識やルールやマナーの類にものすごくシビアに、ご両親ともその都度その都度厳しく躾けられた結果なのでしょう。
これが逆に彼の行動規範に矛盾を生じさせているんですよね。
今は本人も割とそこを気にしてるとは思います。
その場に親はいないけど親の影響が多大に出まくっている。
息子が産まれる前は、何かあれば実家に帰って、1週間ぐらいゆっくりして帰宅していたのが、息子が産まれてから――特に最近はGWと盆正月に一泊する程度になりました。なんなら今年は盆は帰らなくてもいいんじゃない?とまで言うように。
「そんなに帰っても・・・ねえ?(しょうがないでしょ?というニュアンス)」と言っていましたが、
これって親の依存から脱却しようと彼の中で戦っているんじゃないかなという妻目線。ま、あくまで想像ですが。
だからこそ
たとえばお弁当を買ったとき、「お金があるからお弁当が買えるんだよ。お金がなかったら買えないね! お金って大切だね」と教えるのではなく、「このお弁当はだれが作ってくれているのかな? ミニトマトは、農家の人が作ってくれているんだよ。卵焼きは、にわとりを育てている人がいるから食べられるね」と教えてあげてほしいと思います。
社会はそうして回っているのです。自分1人では生きられないということを、幼児期から教えてほしいと思います。
という部分に非常に納得させられました。
人生は何事も線である――何事も繋がりがあると考えれば、
息子はまだ人生始まったばかりなので・・・彼自身にはなんの心配も不要です。
夫のほうがいろんな意味で黄色信号が出とります・・・。
仕事では年数が上がるにつれて、対人関係がのウエイトが重くなってきますし(三十代入ってから急にそういう類の愚痴を聞くようになったので)、
子育ては未だに力(親の権力)でどうにかしようすることが多いので、そこに関しては、もう一歩意識改革をさせたいところではあります。
夫は――私も他人事ではありませんが、これまで通ってきた線とこれから通るであろう線、これらを比較検討しつつ人生を歩んでいく段階に入ったんだなと実感しました。
子どもがいると特にそういうことを考えてしまいますね。
ここまでいろいろ書きましたが・・・決して夫のことを貶めようとしているわけではないんですよ。
彼の性格が悪いとか捻くれてるとかそういうことではないのです。むしろそういう性格に助けられたことも数え切れないほどあります。
家庭のことだって、できる範囲で手伝おうとしてくれますし、何か息子のことで話し合いをするときにも私の意見を優先的に聞き入れてくれますしね。
頑固とはちょっと違うというか・・・ちゃんと柔軟な考え方もできるんですよ。
あくまでYahoo記事の内容と身内の事例が一致していて驚いたって話を長々書いてるだけなのでね。「おっとのかんさつにっき」とかそんな感じで捉えていただけると幸いです。
長くなったので妹編は後日また記事に。妹も夫とは違う意味でのクセ者なので面白いです。