今回少し長くなりました。お時間あればお読みくださいませ。
同著者の「ライ麦畑でつかまえて」と似通った作風ですが、こちらは「若気の至り」としての毛色が強いかな。
この物語の語り部は、26,7歳の大人になったド・ドーミエ=スミス(以下スミス)が
養父のボビーが亡くなったのを期に自身の青の時代(要するに黒歴史)を懐古していく。
この作品は「若さ(に付随する純潔さ)」「カルチャーショック」の二つが軸となる。
井の中の蛙大海を知らず
スミスが19歳のときに話は遡る。彼は母親を数ヶ月前に亡くし、養父(血の繋がりはない)ボビーと二人で暮らしている。
彼は10歳まではニューヨーク、以降はフランスで育ち、19歳で再びニューヨークへ帰国することとなった。
ニューヨークに着いて早々にバスの尋常ではない混み具合に辟易した様子のスミス。
ニューヨークのバスというバスの座席が残らず取り外されて道路に並べられ、人々は今や巨大な規模の〈椅子取り合戦〉に夢中になっているような印象を受けた。
もしもマンハッタン教会といった教会でもあって、私にだけは法の適用を免除し、わたしが着席するまで他の競技者はすべて恭しく佇立していることを保証する得免状を下付してくれるならば、わたしもこの競技に参加するのにやぶさかではなかったろう
願わくばニューヨークから人間を一掃したまえ、われを一人に ーひ・と・り・にーしたまえと祈ったのだ
スミス曰くこれは10歳のときには起こり得なかった精神状態だった、とある。10歳はまだまだ子どもですから反撥もなかったと思います。そこから青春時代のほぼすべてをフランスで過ごし、フランスが世界の全てだと思っていたであろう彼にはもろカルチャーショックだったわけですね。
若さとは大胆さである
ニューヨークにきてからしばらく経ち。
新聞で、ある求人を見つけます。美術通信学校の講師の募集です。
スミスは学生にも関わらず、年齢・経歴を詐称して応募します。で、結果見事採用決定。その際に用いた名前がド・ドーミエ=スミス。ちなみに本名はアルフォンスです。
だいぶ突っ切った決断力と行動力ですね。
なぜ学生の身分でこのような行動に出たのか。
ボビーが美術関係の仕事をしてたので、幼いころから芸術にある程度馴染みがあり、その影響もあってかフランスでは美術展で3つ金賞をとっているスミス。
これらのことが彼の自信の源になっているのですね。ことに芸術においては。
自分のことをエル・グレコに似ていると思い込んでいるところもそういった、自信の表れかなと思います。
もう一点、養父ボビーとの関係性
血のつながっていない親子であるためか、二人の距離感はルームメイト的関係にとどまっている。干渉しすぎない関係は悪いことではないが、「親子」としてはドライともいえます。
スミスはこの採用をボビーに報告して鼻を明かしたがっていましたが、彼の反応は想像よりもあっさり
しかしその態度からしてわたしは、彼がすでに頭の中でロード・アイランドまでの汽車の予約をコンパートメントから寝台車の下段に変更しかけているに違いないと思った
結局俺のことなんてどうでもいいんだな
と少ししょげ気味。
ボビーからの質問にも言葉少なく返したり、ボビーと親しくしている女性(彼女なのかビジネスパートナーなのか、そのへんは不明)に対しても相当疑惑的な目を向けている。
典型的な「反抗期」というか「やさぐれている」というのか。
ただ、その根底には母親を亡くしている「さみしさ」という感情が少なからずあると思います。
そしてこの2つの要素が、彼をこの度の行動に駆り立てたのですね。
ヨショト夫妻
この美術通信学校の代表&スタッフのヨショト夫妻。
ヨショトという名前なので欧米人?と思われるかもしれませんが、彼らの身体的特徴、振る舞いを見るに、めちゃくちゃ日本人くさいです。
背が低い、日本語の新聞を読んでいる、夫人とはときたま日本語で会話しているetc
パッと出てくるだけこんなもんでしょうか。他にもいろいろありますが、行動パターンとかがあまり欧米っぽくない。
それにしてもこれだけの情報はサリンジャーにしては豊富すぎる。
(ありがたやー)
ヨショト氏のもとで働くようになってからはいつ自分の嘘がばれるかヒヤヒヤのスミス。
なんたって「ピカソは友達」とまでいってますからねえ。
それと相まって食事などの生活環境、仕事場の雰囲気などスミスとは合わないことばかり。
欧米は椅子文化なのに個人部屋に椅子はない。まだ19歳と育ち盛りなのに料理が質素。ヨショト夫妻は全然しゃべらない(要するに黙々と物事をこなす)
このあたりを総括してスミスは「不可解(アンスクリュタブル)」と何度か表現しています。
確かに欧米人にはきついよなこの環境・・・。
なのですがスミスは頑張ります。ここでも意地をはります。
実際には椅子など大嫌いだといったと思う。(略)かりにヨショト氏から息子の部屋には二六時中水が一フィートも溜まっていると言われたにしても、声を上げて歓迎したのではないかと思うくらいだ。
ここで第二次カルチャーショックです。しかしボビーの庇護下にはもうございませんので受け入れるしかありません。
若さゆえの純潔さ
スミスはこの美術通信学校で、生徒から送られてくる作品を添削する作業を担います。
ここで三人の生徒を担当しますが送られてくる絵がなかなか個性的。
生徒三人とも聖書に絡めた絵なのですが、うち二人は風刺的、というのか世俗的というのか「タブー」だなと思われる絵を好んで描くんですね。
これをみて19歳のスミスは怒り爆発。
聖書を軽々しくカジュアルにしたり、風刺したり、許されることじゃないんでしょうね。彼の中では。
ヨショト氏に抗議しようか、とまで思い詰めます。この時点では思い詰めただけで行動には移しませんでしたが、その後もずっと似たような絵が送られてくるので堪忍袋の緒が切れ、最終的に芸術家辞めろといった手紙まで送付してしまいます。
大人から見れば表現の自由の度を越している絵でもなさそうなのですが、19歳のスミスには刺激が強すぎたのですね。
そういった絵を楽しめるまで、成熟出来ていなかったのでしょう。
しかし、3人目の修道女アーマの作品が彼の琴線に触れます。
彼女の作品は純粋な宗教画。
絵として問題になるような欠点はどこにもないのだ。それはなんといっても芸術家の絵―高貴な結合された才能と計り知れぬほどに長い苦悩の跡がにじみ出た芸術家の絵にほかならなかった
と絶賛の嵐
ここで彼は彼女に手紙を添えることにするのですが、
これがまあ、端的に言えばストーカーの手紙です。
「あなたのファンだから」という免罪符がギリギリ有効かどうか微妙というところ。
・・・・・いや、「教会まであなたに会いに行きたい」とまで言っちゃっているからこの時代ならコンプラ抵触ですね。
これも若さゆえなのですよ。あくまで純真さから来ているものなのです(温かい目)
で、後日「この美術通信学校を退学したい」とアーマではなく修道院の院長から返信が来る。
そうだよね、彼女が身の危険を感じたとしても不思議ない。
ショー・ウインドーでの出来事
でもここで諦めないのがスミスなのである。
「手紙に何か嫌なこと書きました?土曜日に修道院へ行くので会ってほしいです」と実際はもっと長ーい文章であるが、要約するとこういった内容の手紙をアーマ宛に出そうとする。
ですが、ポストへ投函しようと出た先で、彼の価値観をひっくり返す出来事が起こります。
たまたま通った整形器具店のショー・ウインドーに女性がいたので眺めていると、向こうがスミス気づいたので微笑んだのに対し、相手はドン引きしたのかびっくりしたのか、足を滑らし尻もちをついてしまいました。
芸術に精通し(と思っている)、金賞を3つ持ってて、19歳で仕事もしている。このすべてが彼の中の自信であり、正解であり、プライドだったのですよね。
この自尊心がたったこれだけのショー・ウインドーでの出来事によってポッキリ折れちゃったわけです。
目がくらんでウインドーにもたれてしまった、とあるほどに。
シスターアーマには自らの運命に従う自由を与えよう。すべての人が尼僧なのだ
スミスがその日の日記に書き込んだ文言。自尊心は折れましたが、そこから更に新しい価値観が生まれた。青春時代に培った中で、凝り固まったものが和らいだ瞬間だったのかな、と個人的に解釈致しました。
この事件(?)のおかげでアーマへ狂気の手紙は出さずに済み、芸術家辞めたほうがいい、と出した他生徒への手紙に対しても、すぐに撤回の手紙を送りました。
しかし、その後この美術通信学校の認可に不備が見つかり閉校に。
親子愛
勤め先が閉校になったので、スミスはまたボビーの元へ帰ります。
これまでボビーの余所余所しい感じに居心地の悪さを感じていたスミスですが、突然出ていった血縁関係のない息子をまた受け入れてくれたことは、さすがにスミスも多少なりとも愛情を感じずにはいられなかったのではないでしょうか。
冒頭の大人になったスミスが
彼は冒険心に溢れ、人をひきつける魅力に富み、加うるにすこぶる気前の良い人物であった
とボビーを評していますが、
このド・ドーミエ=スミスの青の時代は最後の最後に、ボビーとスミス―いや、アルフォンスとしての―父親と子の絆が垣間見えたような気がするのです。
さいごに
大人になった主人公と若かりし頃の主人公。このふたりの違いがよく出ている作品です。
とにかく若いスミスくんの考えることが過激なこと!そして回りくどい!素直にものを言わない!
まあこれも若いから、ですよ。誰しもが通る道ですよ。
というわけで、次でようやく最後の作品になります。またぼちぼちと。
では、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。