さてさて、雨が続いてますね。
公園にも行けないそんな日は絶好の映画日和。
と、いうわけで満を持して遂に・・・・鑑賞・・・・・・・・!!!!
(映画館で観れなかったのが悔やまれますなあ)
※先に断っておきますと、007シリーズはダニエル・クレイグverからしか鑑賞しておりません。
知識不足多々あるかもしれませんが、そこのところは何卒ご容赦をm(_ _)m※
正直なところ前回のスペクターで(賛否あれど)綺麗に大枠のストーリーは片付いたと思っていました。
黒幕が義兄弟というオチに関しては私も(なーんだ)となったのは否めませんけども。
まあそこは正直どうでも良い(もちろん個人の見解)
私はアクションスパイ映画というジャンルにおいては大規模な爆発、男たちの肉弾戦、銃撃戦、カーアクション、バイクチェイスetc
これらが堪能できれば何の文句もないのでございます。
その点でいけば、特にスカイフォールとスペクターは100点満点中の200点といった評価です(バグ)
ここまでやってくれたならこれでもう、いいやという完全燃焼感。となると、今作では一体何をしようというのか。
普通に考えれば、次の007のお披露目。すなわち引き継ぎ的な話なのかなと思っていたのです。
ジェームズ・ボンドの隠居生活の様子から始まり、再びスペクターの遺物に巻き込まれる展開。そして現れる新しい007。
うんうん、このあたりまではなんとなく予想通り。
再び00部門へ復帰になるが、007はすでに新人が配属されているので、「中佐」として帰ってくる。
「007なんてただの番号だ」といいつつ、ちょっと凹んでるのがクスッときます。
で、歳はとれどもまだまだガッツのあるジェームズ。
そんな姿をみて、007新人ちゃんから「彼を007に」という進言。でまたまた007になってしまったジェームズ・ボンド。
ほう・・・。となると007は二人?それともジェームズの完全復帰?
一体どういう風呂敷の畳み方をするのか、それが気になって仕方ない(笑)
最後の最後で「とんでもバイオ兵器」に感染するジェームズ。
え?これどうにかなるの?どうすんの?
え?Qでもどうにもならない?え?この流れ、え?エ?E?(バグ)
あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ジェームズ・ボンドが!爆発したああああああああああああ!!!!!!!!
ちなみにあとで「もしかしたら」を想定し再度爆発シーンを観ましたが、うーんあれは助かってないな。
この衝撃で頭が混乱。
でも不思議と嫌悪感のないラストだった。いや、むしろ清々しいラストだったのである。
なぜだろう。
これは007シリーズのみならず、M:Iシリーズにも言えることだが、
「民主主義時代おける諜報部員の要・不要論」
というのは共通のテーマ。
実際、00部門もIMFも一度は消滅している。
(たぶん。ちょっと記憶があやふや)
諜報活動というのは冷戦時代の産物であり、この時代(なんでもクリアにしてこうよ、という民主主義)にわざわざ人殺しの仕事を容認するのは如何なものか。
007では「殺しのライセンス」と言われていますね。
要するに「殺しのライセンス」=「古い」「オワコン」ということなんですが。
では、そんなキレー事で世界はては自分に身の回りの人間は守れるんですかねえ。
お前らは人殺したことあるんけ?こっちがどんな思いで仕事してるかわかってるんか?
ってところでずっと対立していたわけです。
「新しい価値観の民主主義」と「過去の産物と化している00部門」
人を殺す仕事でしか生きていけないジェームズ・ボンド。
彼は今の価値観で見れば「古い」人間。
じゃあどうしよう。この「殺しのライセンス」という「古い」価値観をそのまま貫き通すのか。はたまた新しい「何か」を作り出すのか。
これはスペクターの最後でブロフェルドを「殺さなかった」ことにも通じます。
「殺せるのに殺さなかった」からの「引退」
新しい時代に向き合おうというジェームズなりの決着のつけかただったのですよね。
ここでポイントになるのが今作冒頭ジェームズが発する
「過去が追いかけてくる」
という一言。
過去って自分の意志でどうとでもなると思ってたけど、そうじゃないらしい。勝手に向こうが離してくれない。「殺さなかったブロフェルド」がまたジェームズにちょっかいをかけてくる。
結局古い人間は古い価値観に囚われるまま逃れられることはない。そこに本人の意志は関係ない。
シビアすぎる現実だァ。
というわけで作品としてどのような決着の付け方にしたか。
よっしゃ爆発させちゃえーーーーーーーー!!派手に散らせーーーーーーー!!
です。
これで綺麗さっぱり「新」007に移行できるどーーーーーー!っていうメッセージだったのかな。
日本もそうですが古き良きを大切にしていく文化だと、逆に新しいものを取り入れがたいというデメリットがあります。
なのでイギリス流だとこの締め方がすごくしっくりくる。
逆にM:Iシリーズではトム様にまだまだやりたいだけアクションやってほしいんです。こういうのがみたいんですよ、こう、外的圧力もパワーと実力でねじ伏せてってほしいんです。
それがアメリカ流だと思います。
はい、というわけでね、またまた熱くなりすぎました。家で暇しすぎるとエネルギーが溜まっちゃってよくないや。
最後に、今作出演
パロマちゃんには
ストロング・キューティー賞
マチルドちゃんには
マキシマム・キューティー賞
を進呈してこの記事を終わりたいと思います。
(とにかくかわいすぎる二人)
ではここまで読んでいただき、ありがとうございました。