それは刹那的なものだった。
どこかの家の前の通ったとき、ふっとなにかの香りがした。なんの匂いか考える間もなくパッとかつて通っていた保育園のビジョンが脳内に映し出された。
もちろんすぐにそれは消えたけど
そこで「ああ、そういえばこれは保育園に植わってた、なんかの花の匂いだ」と気づいた。
記憶が呼び起こされるにあたり、「匂い・香り」は見たり聞いたりするより遥かに確実で実感性を伴うものが引き出される気がする。
見たり聞いたりしたことはまず「これを知っているかどうか」から脳内検索をかけ、感覚や経験など芋づる式に蘇らせるが
匂いからくる場合は紐付けられた記憶を直接引っこ抜かれた感覚である。もはや走馬灯とも言っていいだろう。
たまにどこからかわからないがおばあちゃん家の匂いが香ってきたら、だだっ広い畳部屋と仏壇、冬にはおこたとストーブ、といった情景が瞬時に浮かんでくるし、
昔懇意にしていた友人が特徴的な柔軟性の匂い(ビーズかダウニーか忘れたが)をプンプン振りまいていたので、今でも同じ匂いの人とすれ違うと「あれ?」と振り返ってしまう。
これは知識的に知っているといったことではなくて、私はそこに「いた」んだなという認識が近しい。
三人称視点ではなく一人称視点になる。
しかも今回のように今まで一切として思い出したことのない記憶さえ、匂いを嗅げばこちらの意思とは関係なく記憶がトータル・リコールされるので、香りと記憶の関係は不思議なものである。
一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで――千と千尋の神隠しより
きっと思い出していないだけで眠れる記憶はまだあるのだろう。
ちなみにこの台詞は私が忘れっぽいのでよく言い訳に使わせてもらっている。
「忘れてないよ、思い出せなかっただけ」ってね。
相手はすごいシケた顔をすると思うので、良ければ使ってみてほしい。
ではでは。