日がな一日主婦の趣味ブログ

本と映画とエトセトラ

夢の中のあの子

学生時代、親友と思っていたあの子。

異性だったけど物凄く気があって、話しやすかった。男女の関係に成りたいなど一切思う間などないほどに、ずっと一緒にて飽きない子でした。

 

卒業・就職と同時に別々の地方へ旅立つことになり、そこから一切の連絡が途絶えた。

 

というか、こちらがLINEをしても既読がつかなくなり・・・。

電話もしたけど通じず・・・。

共通の知人も連絡がつかなかったそうな・・・。

 

絶縁されたのかな・・・。正直親しき仲にも礼儀ありとは言えない――むしろ親しいから何してもええやろ感は当時あったので、そうなってもしょうがないかと腹に落とし込めたのでした。

 

私が常識とかの類を身に着けられるようになったのは旦那の影響がだいぶ大きいのでね。

 

彼のことは、今の今まで思い出すことがないほど頭の奥深くに沈んでいたはずだったのに

 

なんと先日夢に出た。

しかも三つ子になって笑*1

三つ子になったのはしまじろうの見過ぎだな。

 

話した内容は全然覚えてないけど、夢の中で「これって夢じゃないよね?」と何度も確認。

それぐらい再会はとても嬉しいものでした。

 

朝起きて、何となく久々に顔が見てみたくなりLINEのアカウントを探した。そこには過去遊びに行った写真のアルバムがあるからそれを見たかった。

したらば、そのアカウントは知らぬ間に削除されていたようでした。

 

少し前だと、LINEはスマホを買い替えると、データを移行できないので連絡帳などイチから作り直し。故に古いアカウントは消すというのはありました。

 

けれど今はデータ移行が可能。いつアカウントを消したのかは分からないけど、敢えて消すのはデメリットのほうが大きいハズ。

 

とするならば、運営側が勝手に消した?

グーグル先生に「LINEアカウント 削除 運営」で検索。

すると、1年以上動きのないアカウントは勝手に消すことができるらしい。

遺族の要望などで消すことはあると書かれていて

 

 

まさか夢枕?など不吉な考えがよぎってしまった。

 

 

いや、まあ人の事情はそれぞれだし、新しいLINEアカウントを作る理由も様々あるでしょう。

変に考えすぎてしまうのは私の良くないところだな。

 

ちなみに今でも彼に対して恋愛感情はない。けれど幸せになっていてほしいと心から願っている。それぐらい大切な友人でした。

 

ほんとにこのことがあってから、今でも連絡をくれる友人には有難さしかない。とはいえ、別れはいつ訪れるかわからないので、ともに過ごす時間は一瞬一瞬大事にしないとなと改めて思うのでした。

 

 

HUNTER×HUNTER28巻より



 



 

 

 

 

 

 

 

*1:実際は弟だけ

《続き》それは良いのか悪いのか

つづきです。

 

 

そもそも、私が学生の頃に発達障害というワードは聞いたことがありませんでした。身体障害、知的障害の子は小中学校時

(私の記憶だと)学年に2,3人いたので、馴染みがありましたが、発達障害は概念自体存在してないような感じでした。

 

2022年の文科省の調査だと小学生であればクラスに2~3人いる計算らしいのですが、私が小中高の頃では発達障害に当てはまる子はいなかったと思います。

20年程前になるので、正確性としてはビミョーですが(;^ω^)

 

 

最初に「あれ?この子・・・」って思ったのは大学に入ってから始めた小学校でのボランティアにて。*1

2年生のクラスに入っていたのですが、授業中必ず廊下に飛び出していく男の子がいました。

ADHDっぽいですが、まだ小学二年生ということを考えれば、ただの発達過程の可能性も大いに有りえます。

それ以外は普通の子で、休み時間も友達同士仲良く遊んでいましたから。

 

 

もうひとつ。

 

ムスコは電車が好きなので、しばしば近所の線路を見に行きます。

そこでたまに会う中高生ぐらいの男の子は、その線路を走る電車(タイムスケジュール)を全て網羅しています。そしてそれをこちらに逐一教えてくれるし、何なら一人でもずっと喋っているような子で私も「へえ」と「そうなんだ」ぐらいしか相槌がうてません。超弾丸トーク男子です(笑)

これも今考えるとASDっぽいっちゃぽいなあと。

 

当時はちなみに全く気にしてませんでした。まあそういう子なんかなーぐらい。こうやってムスコの件で気になって調べだして「じゃあ、あの子もしかして・・・」と定義上は当てはまるかな?と気づいた感じ。

 

でも、それぐらいかなあ。今のところ。

 

 

昨今まるで当たり前のように発達障害になるかのような印象がありますが、実際はもっともっと珍しいんじゃないでしょうか?

これだけガッチリスクリーニングしてたら、該当者は漏れなく拾えるでしょう。

問題は発達が凸凹してるだけの子も拾い上げてしまって、該当の親が不安になってしまうこと。

今回の心理士さんは「分からない」と言ってくれたのでよかったですが、テスト結果優先で「発達障害の疑いあり」なんて言われた日にゃ、「そうは見えないけど専門家がそう言うならそうなんだ」なんて思い込んでもしょうがないです(さすがにそんなことはないと信じたい)

 

そのまま放っておいて、得意な面をどんどん伸ばしギフテッドに昇華させる道もあるのでしょうが、出る杭は打たれるこの日本では少なくとも難しそう。

(海外でどうなのかはシラナイ。飛び級制度がそれになるのかしら。)

だからこその早期スクリーニングと療育。なるべく早く普通に馴染めるように。

 

確かに大人としてその方が都合いいんでしょうけど、子どもは?子ども真ん中社会は?なんてちょっと思ったりします。

流石に幼児期からはどうなのよ・・・って。

もうちょっと自我がはっきりしだしてからじゃあかんのかな(´ε`;)ウーン…

小学校低学年ぐらいまでは、みんな何も考えんと動いてません?

 

 

まあ私がメンタル的に、発達の凸凹ぐらいであれば、成長過程で勝手に直るし放っといてもらったほうが楽だなーって思ってるだけなんですけどね。

 

親御さんによって違いますよねそこは。

 

 

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20221213/1000087567.html

年齢上がるに連れて割合下がってるってことは、やっぱり関係ない子(個性で片付けられる子)も結構な人数弾いてるんだろうな。

やはり親が毅然としてないとですね。

 

 

発達障害」というのが世間に浸透したこと。これ自体は間違いなく当人たちにとって生きやすい社会になりつつはあるんだろうとは思います。

「なんかコイツおもしれー奴だな」程度の症状ですから。

家族や職場、学校のようにより濃いお付き合いをする場面だともう少し顕著に出るようですが、「特性」で済ませられそうな障害でもありますし。

 

この特性を普通にしたい社会の理屈はわかります。「察して」を要求される環境多々ですからね。定型発達でもしんどいわ!って匙投げて、キチゲでも解放したくなるってもんです。

 

 

でも親としては理屈と向き合うのではなくその子自身に向き合うこと。その子目線で考えてあげたいところです。

 

というわけで(どういうわけだ?)、これを機にムスコ発達障害なんじゃないだろうか疑惑はひとまず解決――気にしないことにしました。

だって心理相談で発達の遅れを指摘されてるから不安になったのであって、子自身を見れば特に気になることはありません。

あらゆる人の主観を元にして「発達障害」の診断は下るのですから、親の視点だって心理士や医者と同じくらい重要なはず。

 

 

 

一応心理相談は育児アドバイスも貰えるので通おうかと(結局)

 

 

 

もし、ここから何か事態が変わればまた記事にしようと思います。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

*1:ちょこっとの期間だけ

それは良いのか悪いのか

ムスコはそろそろ2歳半になりますが、ほとんど発語がありません。

 

最初に心理相談をしたのは1歳半の検診時。

発語が見られないので、

「心理相談されてみますか?」と保健師さんより提案いただいたのがキッカケ。

私は軽い気持ちで「あ、じゃあ折角なので」とお話を聞いてみることに。

 

発達テストの結果としては

「発語はできてると思う」とのこと。

 

実は言えてるのか言えてないのかよく分からない「モニョモニョ(例えば魚だったらアタナァという感じ。しかも一回ポッキリのことも多々)」も発語とカウントして良いようなんです。そろそろ出かかってますねといった感じ。

 

 

なあんだ、じゃあ問題ないねと一安心。

 

 

 

「次回は予約はどうされますか?」と聞かれたので

「発語はあるならしばらく家で様子を見ようと思います」と返答。

 

「うーん、でもね。発達テストだと1歳半の基準には達してないの。何度か相談には来てもらったほうが良いと思う」

 

確かにムスコは出されたテストはほとんど出来ていなかった。というか親目線でみると出来なかったというか「やらなかった」もしくは「やりたくなかった」というのが正しいかな。

似たようなパズルが家にもあったので「いやあウチだとできるんですが・・・」と言っても、特にその項目を心理士さんが書き換えることはなかったので、その場でできないと出来ないという判断なのだと思う。まあ当然か。

 

発語に行き着くまでにはいくつかステージがある。

聞く→指差し→発語の順で成長が見られるそうな。

この中で特に大事なのが「聞く」

昔は大家族だったのでたくさんの言葉掛けができていたが、我が家のように核家族で保育園にも預けていない場合、どうしても聞く総量が少なくなる。なのでお母さんがもっと積極的に子どもに声をかけてあげてね、と。

 

ウンウン。

 

・・・・・・・・じゃあ、発語がないのってシンプルに不可抗力なだけじゃね?

わざわざ頑張らなアカンのけ?

普通に声掛けしているつもだったんだけどな。*1

 

 

 

「わかりました~」と言いつつ

(いやもうこれ以上は頑張れんて・・・いやでも他のママさんたちはもっともっと声掛け積極的にされてるんやろか・・・それともウチの子は発達障害なのだろうか・・・その場合私はなにをしたらいいんだっけ・・・?)

と悶々。

 

 

 

まあ結局そのあとの生活で、接し方はこれまでと変えませんでした。

いつか喋るさ、にんげんだもの。の精神です。

 

 

❋❋❋

 

 

そして先日終えた2回目の心理相談。

 

この時点で発語はチラホラといったところ。

主に出てくるのは「でんちゃ」と「あった」

車も自転車もトラックも乗り物はなんだって「でんちゃ」

なにかモノがあると「あった、あった」

 

2回目も前回と同じテストをしますが、やはり真面目に取り組まぬムスコ。しかも人見知りも相まって前回よりヒドイ。

ぶっちゃけこの結果って信ぴょう性あるのかしら?

 

「一応発語は出たのですがどうでしょうか」と私

ここで指摘されたのが指差しについて。

ワンワンどれ?ブーブーどれ?に対してムスコは指差しを一切しなかったのです。

これを経ないと更なる言葉を出すのは難しいのではないか、ということ。

要するにまだ言語機能に関して、遅いこたあ遅いと。

 

育児本でみると2歳を過ぎて2語文を話す子もいるのだから、2単語出たからと言ってドヤれるもんでもないね確かに。

ちなみに後日「〇〇どーれ?」と聞いてみたところ、ちゃんと指差ししてくれました。子どもって気分屋よね・・・。

 

「なので、もっと絵本を読んであげたり、おままごとしたり、なるべくママが関われる遊びをしてね。児童館だとおもちゃもたくさんあるし、職員もいるからオススメ」

とのこと。

 

最後に何か質問は?と聞かれたので意を決して

「うちの子は自閉症とかその・・・発達障害的な心配は今のところどうなのでしょうか」と聞いてみました。

すると

「え?どうして?」

とキョトン顔。

 

 

どうして?・・・ってその心配があるからテストとかしてるんじゃないのか?逆に。と混乱。

 

「え、いや・・・発語の遅れとネットで検索すると必ず自閉症とかそういうキーワードが出てくるので(モニョモニョ)」というと

「いや、自閉かどうかはなんとも・・・。ただ、ムスコくんはまだ1歳半程度の発達度合いとしか言えないかな」とのこと。

 

 

私は既にムスコは発達グレーなのかな?と思っていたんです。だって就学前まではサポートしますからって言われて、療育センターのパンフレット渡されたらそういうことなのかなって勘繰りません?

発達障害は育て方の問題ではなく、脳機能の障害というのも知ってましたので、「幼児期の時点での典型的な症状があるのかな」とも思いました。

後日、いろんな方のブログなりを徘徊してみると、1歳あたりからかなり周りと浮いた行動を取るようで、

むしろ2歳の時点で発達障害かわからんという判断なら、その疑いはほぼないと言って良いのではないでしょうか?もちろん、幼児期特有の行動と発達障害の行動はとても似ているとも言いますが、それで分からないというなら症状が出るまでは家で様子見で、気になるようになってから動き出しても遅くはなさそうです。

相談の回数を重ねるほうがより精度は増すってことなのか。

所詮発達障害の有無は問診です。血液検査でも脳波検査でもない。自分の子どもなのだから親である私が一番に異変を察知できないとおかしい。心理のプロではないけど、ムスコのプロは私だという自負だけはあります(あくまで自負ですけど)

 

むしろこっから発達障害の毛色がでたら、それは脳じゃなくて環境の問題ってことはないのでしょうか

 

書いてて我ながら面倒くさい人間だとおもいますが、ハッキリ分からないにも関わらず発達障害であることを念頭に置こうしてるようなスタンスが気になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(長くなったので)つづく

*1:「おはよう」「いただきます」とか挨拶するし「ありがとう」も言うし、道歩いてても「お花綺麗ね」とか「鳩さんいるよ」とか。

ミュウツーの逆襲――ぼくらはみんな生きている

もー観終わったあと大変でした。号泣&号泣で。

午前中の暇に観て、泣きながらお昼ごはん準備して、泣きながら食べました。普段と違う母の様子にさぞムスコも困惑したことでしょう。

 

 

スーパー本気すぎる脚本

ミュウツーの逆襲』は人生で初めての観た映画で私にとって思い出深い作品。

先日konma08さん(お子さんとのやり取りがとっても楽しいブログ)が企画された「初めて〇〇した映画」アンケート。

こちらで回答したものを抜粋しますと、

当時まだ小学校にも入学していなかったかもしれません。
ほぼほぼ掠れていた記憶ですが、オープニングタイトル(テテテンテテテンテテテンテテテンのBGM)で圧倒され、沢山のポケモンやバトルにワクワクして、ミュウの可愛さに癒やされて(性格どうのは置いといて)アニメ放送とは、やっぱり規模が違うなあと目をキラキラさせて観ていた記憶。当時一緒に付いて来てくれたのは母親でしたが、母は横で号泣。当時の私としては泣く要素がどこなのか全然わかりませんでしたが、今観ればその気持が理解できるかも。機会あれば再鑑賞したいですね(´◠ω◠`)

 

blog.konma08musuko.com

 

 

 

当時、子どもながらにとても楽しい映画体験ではありましたが、大人になって気づいたこと。

「なんのために産まれてきたのか」という非常に難しいテーマを上映時間85分に収めきるという*1

ストーリーテリング力がズバ抜けすぎとるんですね・・・。

 

もうね、ストーリーの圧(すなわちミュウツーの圧)が強いのよ。

ちゃんとドでかい軸がしっかり入っていて、全然遊びがないの。没入感半端ない。

おかげさまでサトシの存在感はだいぶ薄い。主人公なのに。

一箇所ストーリー上とても重要な役割は担いますが・・・・そこだけです。それぐらいミュウツーというテーマに全員が包含されてしまっているのですね。

 

アニメに限った話ではないですが、映像作品っていかに視覚情報に訴えるか――そこに製作陣の方々はウエイトを置きますよね。

 

例えば今回のミュウツーだって、もっと映像的に魅せようと思えばその方向に持っていけたはず。

ミュウとミュウツーの戦闘だと、もっとヒートアップさせて派手な技を繰り出させるとか、街を破壊させるとか。

そうすれば主人公活躍の大義名分も生まれますし、収まりの良い作品にはなったと思います。

 

にも関わらず、ミュウツーはミュウしか見てないし、主人公ですら基本傍観スタイル――というか、この二匹のバトルなんて誰も割って入れないわけで、見ることしかできなかったというのが正しい。何か状況的ラッキーパンチが起きるのでもなく、悲劇的に巻き込まれるでもなく、ただ見ることしかできない人間達。

ポケモンって怒らせると怖いんだ。自分たちって無力なんだ。

客観視するからこそ、そう思わせられる。

 

この作品はどちらかと言うと目で楽しむのではなく、心で味わう――詩的な感じ。

もしこの作品を我が家の棚のどこにカテゴライズするだろうと考えると、『特攻野郎Aチーム』や『M:I / ローグ・ネイション』がある映画コーナーよりも

金子みすゞ詩集やサリンジャー作品が並んでいる本棚に並べるほうがしっくりくる、そんな感じです。

 

 

「ここはどこだ。私は誰だ。なぜ私を産んだ」

ミュウツーはこの問を何度も何度も投げかけてくるわけなのですが、全然しつこくは感じない。だって人類皆いつだって抱える普遍的な悩みですから。

家庭でも学校でも会社でも、SNSの世界でだってこの問題は断ち切ることができない。

誰しも心のなかにミュウツーは存在するのではないでしょうか。

 

 

 

もう超がつくド直球作品。こんなのあと一つでも生きてるうちにみれるのか怪しいだろうな。結構珍しい類のアニメ映画だとは思いました。

 

脚本にばかりフォーカスしてしまってますが、もちろん映像としても楽しめないわけではありません、今のポケモンに比べると演出が控えめに感じるかもしれませんが。

ミュウツーのもとへ向かう際の嵐の海であったり(この嵐はミュウツーが起こしてるわけなのですがこの描写も強キャラ感があって良いです)、いろんなトレーナーのいろんなポケモンたちが見れたり*2

ヒトデマンゼニガメ、ちっちゃいのによく嵐の海を超えたね。*3他のトレーナーはギャラドスとかピジョットとか大型のポケモン使ってたんで余計ね。

あとはミュウの可愛らしいこと!!!*4

ポケモンを可愛らしく動かすノウハウは今のポケモンにも受け継がれてる感じしますよね。

まあ大まかな感想は、20何年前と変わらないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

存在意義ってなんでしょう

ミュウツーは人間の都合により生み出されたポケモン

「ありの~ままの~♪」と歌われたところで、彼にはそもそも「自分の基盤」が存在しない。

だってミュウツーって人間から生み出されてるけど人間じゃない。かといってポケモンですよと言われてもミュウツーは世界にたった一人(匹?)しかいない。遺伝的に繋がりがあるのはミュウだけど、ミュウ自身はミュウツーに繋がりなんてそんなに感じていない。

 

自分の存在意義を証明するために、人は生きていると言っても過言ではない。ミュウツーの逆襲とはすなわち自身の存在を確立することと同義なんです。

すなわちミュウツーポケモンであり、人間である。

だからこそ、クローンの存在意義のためオリジナルであるミュウに――また人間に戦いを挑むわけ。

クローンのポケモンたちに指示を出すミュウツーのさまは、まさにポケモントレーナー(人間)のよう。

 

ただ、その戦いに意味はあるのか。勝ったからって自己の存在は証明されるのか。

 

 

「オリジナルもクローンも生きている」

 

 

このセリフが「なぜ産まれてきたのか」のアンサー。

生きているから。ただそれだけ。

生きているとはどういうことか。

 

 

この世に生まれる前のミュウツーが外の世界を疑似体験する描写があります。

暖かい太陽、心地よい風、明るい月。なんてことのないコレらを感じれること。

私達は「生きる」ということがどういうことなのか産まれたときから知っている。

すなわち自分を認めるために戦う必要性はない。他人を思う涙があれば、それだけで存在意義になる。

 

この最初の描写がもう駄目。泣ける。

生きることをミュウツーに教えたのがクローン研究者のまだ幼い娘アイちゃん。病気かなにかで亡くなっているのですが、産まれる前のミュウツーにコレを伝えて消えていきます。アイちゃんのパパは娘をクローンでもいいから生き返らせたくてミュウツーを産み出そうとしているのですね。完全なエゴだけど、共感せざるを得ない。親なら1000%泣く描写。

 

 

物語の着地点は・・・

とはいえ、「生きているんだからお互い尊重してこうね」なんてのは綺麗事。

それを象徴しているのがラスト――ミュウツーが自身の記憶をサトシ達から消してしまうシーン。

 

結局のところ「戦う」って人間の本能なんじゃないか?

そして大人になるとそれを自覚しだす。大きなところで言えば戦争ですし、小さいいざこざで言えば、夫婦喧嘩とか上司との軋轢とか枚挙にいとまがない。

 

ただ、そうやって勝ち取ったから今があるにせよ、そういった勝者と敗者のような概念を前途ある子供たちに受け継ぎたいか?という話。

 

戦争に関しても積極的に伝えようとする方もいれば、口を閉ざすタイプの方もいますよね。

 

ミュウツーの場合は後者。彼なりの最大の思いやり。

 

どちらも戦いはないほうがよいというのは共通項でありますが、そうならないための責任を子どもたちが負う必要はない。

サトシ達はこれまで通り思うままに生きればいい。だってちゃんと他人(ポケモン)を思いやる心を持っているのだから。

 

でもきっとミュウツーのことは彼らの無意識下にちゃんと存在はしてるんだろうな。

きっとサトシ達が大人になるとき、この経験はかけがえないものになるのでしょう。

 

 

 

次作の『ルギア爆誕』も視聴しましたら感想書いていきます。

最近リモコンの主導権が完全にムスコに移ってしまい・・・いつ観れるかなぁ。

 

*1:今回視聴したのは完全版のほう

*2:初期のアニポケはやたらめったらポケモンは出てこないのです

*3:余談ですがカスミの手持ちポケモンヒトデマンが一番好きです。ヒトデマンって表情が見えないのに、ちゃんとカスミと信頼関係厚い感じが好き

*4:声が山ちゃんだったことにも衝撃

妊娠出産経て変わったことアレコレ

衣服

元々オシャレでも何でもなかったのですが(むしろ無頓着)、「男性」を意識しだしたあたり*1から身なりには気を配るようになりました。道行くオシャンティーな女子を参考にしたり。ユニクロじゃない服を買いに行ったり、アクセサリーや香水つけてみたり。youtubeメイク動画みたり。

それが出産してからまた逆戻り。

一番の変化はスカートを全く履かなくなったこと。ヒールのある靴もアクセサリー類も同様。

夏はタンクトップ or Tシャツにヒラヒラパンツ。綿麻素材だと尚良し。抱っことかしてると暑いのなんの。

化粧してても流れてくだけなので、スッピン率高し。帽子被ってしまえば分からないしそもそも誰も気にしてない、よね?

冬はジーパンとセーター。ヒートテックは着なくなったなあ、暑いから(2回目)

それぞれ基本2パターン程度を順繰りさせます。

タンスの中は肥やし服7実用服3ぐらいの割合。もしかしたら・・・いつか・・・と考えると捨てられない・・・ということはまだ私の中には女子なるものの存在が?

いやいや、ただ捨てるのが勿体無いだけだな。

オシャレは余裕の証。私はキャパの使い方が人より下手なので切り捨てましたが、できるときにオシャレはすべきでしょう。ちょこちょこ綺麗にされてるお母さんをみるとそう思います。

 

 

 

食生活

妊娠中、栄養状態に超気をつけて生活していたのは私だけでしょうか。それが未だに抜けません。特に塩分。妊娠中――妊娠中じゃなくてもだったか、「塩分は7g/日で抑えましょう」と当時読んだ妊婦向けレシピ本に書かれていて「すっくな!!!」と驚愕。だって当時好きだったカップ焼きそばとか塩分5gぐらいあって、ソースの量を半分とかにして食べてました。意外とイケました、が「インスタント系の食品はなるべく避けたほうが良い」といったことも書かれてて、基本的には我慢。それが板についてしまったせいか、産後久々に食べたカップ麺が濃ゆくて*2合わなかったんですよね。冷食とかも似たような感じで、ちょっと苦手になったかも。でもスナック菓子とかは変わらず好きという矛盾も感じつつ。

 

 

後々友人にこのことを話したら「え、私普通に冷凍ピラフとか気にせんと食べてたけど?」と言われてまたまたビックリ。ちょっと大真面目にやりすぎてたかもしれません。もし二人目を授かることがあればもう少し肩の力を抜いていこうかな。

たぶんお弁当とか作り出したらこんなこと言ってられぬでしょうし。

 

夫婦関係

自分で言うのもなんですが、私は結構夫大好きタイプの人間だったと思います。とにかく私の方をむいてほしいし、私の話を聞いてほしいしという・・・まあ・・・至極めんどいタイプの女ですわな。

 

出産してからあるとき、ムスコにかかりきりで、夫へのフィルターが外れたのが原因だと思うのですが「あれ、この人実は私の話にあんまり興味がないし、おもしろくないんじゃないか?」ということに初めて気づいたんですね。これはマイナス的な意味合いではなくて、ようやく相手との適正な距離感を掴めた感じ。いや、そもそも私の方も夫の話はよく聞き流すのでお互い様。家の中ではずっと一緒なのだから適度に流さないと疲れてしまう。正直あのときの自分は夫に執心しすぎでした。

今は「好き」というか「尊敬」とか「情愛」とかそっちかもしれませんねえ。一人でいるほうが気楽ってときも増えましたし。だって一日中一人の人間(ムスコ)と向き合っていると疲れるんですもん。「問答無用!かわいい!」ってときもあれば「人間ってこんなちっこい時から愚かしいの?(盛大なイタズラ事後)」とかヒトに関する情報量だけなら日々とてつもなく流れ込んできている気がするのですよ。寝かしつけ終わったあとぐらい一人で音楽聴いたり、読書したりしたいんですよね。

プライベート、大事。

 

 

 

最近の寒暖差は凄いですね。風邪など引かぬよう気をつけましょう。

 

ではでは。

 

*1:社会人になってから。当時職場で男性経験ゼロなのは私だけで・・・なんか恥ずかしかったのですデヘヘ

*2:妙に舌に味が残る感じ

2023年8月映画まとめ

 

早速いきます。

 

 

ミッション:インポッシブル  / デッドレコニングPARTONE

子どもは旦那に預けて、ひっっさびさに映画館へ。やっぱり映画は劇場スクリーンで観るに限ります。友人と一緒に行ったのですが、横目でリアクションが伝わってくるのがいいんですよね。自分とおんなじリアクションかましてると尚楽しい。予告見ながらあれも行きたいこれも行きたいなと勝手にリストアップ(行けないけど)

 

 

 

 

今回の作品は旧キャラから新キャラへの引き継ぎに結構尺をとっていたなという印象。新キャラもまた多いもんですから、2時間半たっぷり使って次作で動かしやすいよう土台を作ったのかなと。というわけで問題のミッションについてはほぼほぼ進んでないと言っていいぐらい。

というか、ちょっとモタついた感じがしました。

続編は特にヘイリー・アトウェルの活躍にだいぶ期待できそうですね。今作の方はほんとに「オイテメコンニャロ(#^ω^)」ってぐらい、うざムーブが凄かったんですが。イーサン何回置いてかれるんや・・・涙

他にも旧キャラの扱い方とかモヤる部分がまあそこそこありまして。私はサイモン・ペッグが加入しからのメンツ*1が大好きなので余計ね・・・。

一番大きかったのが、当たり前のことなんですがpart1だから続編があるわけで、今作ではMission accomplishedしないんですね。

はじめから分っていてもこのカタルシスを味わえなかったのは結構大きいマイナスだったかな。

イーサン「ミッション、完了だ!」 - 「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」のセリフ・名言 | 映画スクエア

 

かといって観終わって「映画代返せこんにゃろー」とはならなかったですし、むしろ高揚感たっぷりに劇場をあとにしました。友人も「トム・クルーズかっこいい!」って目がハート(ちなみに私も同じく///)

 

それぐらい今回のアクションも見応えがあります。

入念に準備をして挑んでいるとはわかってても

バイクジャンプの崖で縮み上がり、電車のシーンで声なき悲鳴を上げたのは私だけではないはず。あれで私のエンタメ欲求は満たされたので満・満・満足!(草なぎ剛風)でございます。

 

アクションだけでみるとシリーズで甲乙つけれませんね。

 

 

ジェレミー・レナーはいつ復帰してくれるんだろう|´-`)チラリ

 

 

ラストナイト・イン・ソーホー

こちらの監督の『ベイビー・ドライバー』が大好きで、ホラー嫌いなのですが、意を決して鑑賞ッ。

「ワッ!!!!」ってくるタイプのホラー*2とは違いましたので、全然余裕で観れました。あらゆるところに伏線があって、特に謎のおじいちゃんと主人公エロイーズが織りなす噛み合わない会話。なんで噛み合わないってそりゃあねえ・・・だってしょがないのよ決定的にミスリードさせるカットがあるんですから。

舞台としては60年代のロンドンがメイン。とにかくオシャレ。この表現が正しいのかわかりませんが。違和感があるのに違和感なく見せるのがお上手。鏡のシーンとか、エロイーズとサンディーが入れ替わるところとか。

街並みやファッションも素敵。女の子はきっと好きな映画。でもこの作品でよく出てくる「ここはロンドンだもの」というセリフは負の意味で使われる。このとてつもない高低差がまたたまらんというか、これがいい味を出してくれるんですよ。

映画を全部観終えても尚、「いやあやっぱ(負もひっくるめて)ロンドンってオシャレだわ」ってなるのがこの映画の魔力。

ベイビー・ドライバー』の勢いも好きでしたが、こちらはストーリー重視で丁寧に作っている印象。

 

 

今月は以上です。ではでは~。

*1:ゴースト・プロトコルあたりから

*2:このタイプが一番無理

母と子ふたり旅――ただの実家帰省

先日実家である岡山*1に帰省してまいりました。

 

私の実家はそれはそれは田舎で、田んぼもあれば山もある、きっとトトロの1匹や2匹出てきそうな・・・そんなところです。

 

 

 

前哨戦

旦那が1週間程度出張でいなくなるということで、ウサギばりに寂しがりの私*2はムスコと二人で実家ステイを決意。

2泊3日お邪魔しました。

 

このときまでムスコと二人きりで長距離のお出かけってしたことがなくて、前日からソワソワソワソワドキドキドキドキ。

 

スムーズに朝ごはんは食べてくれるかとか、お昼はどうしようとか駅までちゃんとたどり着けるか、飛行機乗れるんかetc

そしてムスコのお風呂セットとかそういうのがなぜか見当たらない。こういうときに限って(キー!!)ってなるのありますよね。

 

大人だけなら絶対にしない心配事が山のように押し寄せてきます。

 

しかも出発日は雨予報。

雨となると問答無用でベビーカーになります。ただ、荷物が既にリュックとサブバッグがあるので、最寄駅についてからのベビーカーの運搬が確実に困難を極める。

 

あと手が2本ないと厳しくね?

普段旦那とふたりで分担できる有難みを噛み締めました。

 

すぐ終わるやろうと思っていた準備に1時間以上かける始末。大体なんかしら物を探してた気がする・・・。

 

 

 

出発

そして迎えた出発当日。時間は9時ぐらいだったかなあ。

雨は降ってませんでした!!

ヤッタ━━━ヾ(*≧∀≦*)ノ━━━!!!

 

これだけで心労の3割程度はなくなります。

 

羽田までたどり着けるか問題も難なくクリア。ムスコはグズることもなく、協力的で助かりました。

 

さて、羽田についたはいいもののまだ11時前。レストランは開いてません。

 

とりあえず、実家へのオミヤを買い・・・

butternoitoko.com

 

 

 

ホットドッグなどの軽食コーナーがあったのでそこで少し早めのランチ。イートインスペースもそんな混んでなくて良かった・・・。

ムスコはサンドイッチなんかの類は分解しながら食べるので具材をぶち撒けないかハラハラしながら食します。

案の定具材をポイっと床に放ったのですかさずキャッチ。我ながらナイスな反射神経だったと思う。

 

ごはんを食べ終えたら、あとは飛行機乗るだけ!足取りは軽い!

 

保安検査場を通ってからの安心感たるや。出発ゲート前にも対して人はおらず、はしゃぎまくるムスコ。わかるよ、楽しいよね空港って。飛行機とか整備車両がガチャガチャ動いてるのとか私も好き。

 

ターミナル屋上。ごちゃごちゃした羽田。飛行機が忙しなく飛び立つ。



 

しかし、はしゃぎすぎてどんどんどんどん出発ゲートから遠のくムスコ。大荷物で追いかけるのが大変なのよ。大人しくしてくれい。

 

飛行機で座席についてからも、ムスコの興奮は収まらず。前の席の背もたれの縁をトミカで走らせる走らせる。

前に人座ってるんだからやめてくれ(汗汗)前の席のお兄さんその節はスミマセン。気づいてたかな?

飛行機が動き出すと眠りについてくれました。これで安堵。

 

まだ2歳だし座席1つでいいかと思っていましたが、結構ギリだったな。暴れたりしたら

確実に横の人に危害が及ぶわ。

 

 

桃太郎空港に到着

地方空港だから、2階までしかないシンプルな作り。とにかく広く感じる発着場。こういう空港も趣があって好き。

(昔撮った写真があったはずだけどなぜがいくら探して見つからなかったぴえん)

 

出口を出ると(私から見て)叔母が迎えに来てくれていました。

 

ここからムスコの様子がおかしい。オーラ消した?絶?ってぐらいうんともすんとも言わなくなる。

「元気だった?」と叔母に顔を覗き込まれるや否や全力で顔を隠す。

 

あー、顔見知りでも駄目かあ。

 

最近のムスコは人見知りが激しい。

とは言っても泣き叫ぶとかそういうのではなく、全力で己の気配を消そうと努めるタイプの人見知り。道で人とすれ違うことすらできず、その度に抱っこもしくはベビーカーin。

 

ちなみに滞在中この態度が軟化されることはなく、ごはん時はひたすら俯く、しまいには私の膝の上でしか食べないという。そして自分のごはんが終わると「さあおもちゃのある2階へ連れてけ」と引っ張るという暴挙。私ごはん食べ終えてないんだがーー(まあいいか)

 

悠々自適で過ごすなんてとんでもなく、ひたすらムスコ都合で動く3日間になったのでした。

 

ただ、例外もあって。

 

実家では猫を飼っているのだけれど「猫ちゃん見に行く?」と聞かれたときはルンルンで私から離れていったりもしてました。

っていうかムスコそんな猫好きだっけ・・・?

(尚触るとかはせず見る専)(猫ちゃんには軽く威嚇されてるの面白かった)

 

あとは途中からばあば(私から見ると母)が合流したのですが、彼女に対しては抱っこしても嫌がらないし、トイレとかで席を立つと追いかけてったり比較的懐いてました。東京に出るまでは頻繁にムスコの顔を見に遊びに来ていたばあば。もしかしたら可愛がってもらった記憶があるのかも、なんて叔母や祖母とは話しておりました。

 

岡山でのお遊びスポット

家では全力殻に閉じこもる少年のムスコ。それもあってかどうなのか「子どもが楽しめるところがあるから」と連れて行ってくれたスポットを2ヶ所紹介します。

 

 

www.tsuyamakan.jp

 

男の子は間違いなく好きなこちら。電車もあるし汽車もある、線路もある。家であれだけ固まっていたムスコが着いた途端意気揚々と走り出す!

鉄道の仕組みについて学べるちょっとした小部屋がいくつかあり、その中でもムスコのオキニだったのは津山駅周辺を再現したジオラマ

小さな街を模型の電車が駆けていくのが楽しいらしい。ずーっと指を指して「でんちゃ!でんちゃ!」

こちらがストップかけないと日が暮れるまで眺めてそうな勢いでした。

圧巻の電車たち

線路の切り替えができる。写真のムスコはレッツゴーのポーズをしている。

車輪と一緒に撮れる(見切れちゃってるのはご愛嬌)

もう一つフォトスポット。なかなかの重厚感です。





 

鉄道館から少し車を走らせるとアルネ・津山というショッピングモールがあります。

その商業施設内にあるのが、まさに子どもたちからすれば夢の国「おもちゃ大使館」

www.omochaoukoku.co.jp

 

津山市と提携していて、未就学児とその親は3時間無料。

なんじゃそりゃ~~~東京でそんな施設あり得んわ。

 

ブロックからままごとキッチンからちょっとしたアスレチックまで、ほんとに何でもある感じ。しかも結構広いブースでカテゴリー分けされています。

休憩スペースには飲み物や軽食の自販機もあるし、普通に1日中でここで過ごせるやつ・・・。

絵本コーナーには絵本だけでなく、大人向けの育児書もあったりして、叔母にシレッとムスコを預けてちょっと何冊かパラパラと読んだりしてました。ムスコはどのおもちゃゾーンでも大はしゃぎで、ウチにないおもちゃが沢山あるのが良かった。我が家おままごとセットとか置いてないんですよね。楽しそうにミキサーや電子レンジで遊んでたし買ってやろうかどうしようか。

 

こんな感じでいろんなおもちゃブースがあります

 

 

鉄道館に行ったときも驚いたんですが、人がぜんっぜんいないんですよね。地方の過疎化を感じます。ここもこんなに広いのに私達含め3,4組ぐらいだったかなあ。

 

結構綺麗に自然が残ってて良いとこなんですけど観光地とかではないってのが大きいのかな。

よく言われるのがB'zの稲葉さんの出身地。母からは100万回ぐらい聞きました。

 

帰路

未練がましく去る。もう少し自分の時間が出来るかと思いきや、むしろ逆。

食べ過ぎがなくなった分、体重増加は免れました。

義実家のほうもそうなんですが、いつも有り得ない量の食事を出されるのです。私等をこのまま精肉にする気か?と度々思います。

まあ、以前お義母さんがポツリと「痩せて帰らすよりいいでしょ?」と言っていたので、お心遣いとして双方とも帰る度フードファイトしております。

 

今回の旅で飛行機の座席ガチャは結構アタリで、行きは横と後ろが不在で広々使えましたし、通路挟んで横のオジサマもムスコが落としたトミカを笑顔で拾ってくださって胸キュン・・・(イカンイカン)。

帰りも横に座ってらした母娘さんもコチラを気にかけてくださるし、荷物を棚に入れるの手伝ってくれるオジサマもいて、感謝カンゲキ雨アラレでございました。

やはり人の優しさほど嬉しいものはございませんね。

 

羽田に着いてしまえば何時までにどこみたいな時間の制約がなくなるので余裕ゲーです。そして、東京はほんとに賑やか。

各駅でもいいのでゆっくり帰ることとしました。

 

こうして実家帰省ミッションは無事達成。ムスコの人見知り以外割りとスムーズに事が運べた気がする。子連れ移動は運ゲーでもありますが、今回は恵まれた旅路でした。山々のマイナスイオンにも癒やされ、遊び場でもゆったり過ごすことができて満足です。

 

次行くときは人見知り収まってるといいなあ。

 

*1:ここで言う実家とは私から見て祖父母宅を指す

*2:あ、嘘です嘘ですごめんなさいどうせなら実家でムスコの面倒をみてもらって私は悠々自適に過ごしたい魂胆ですハイ