日がな一日主婦の趣味ブログ

本と映画とエトセトラ

夏目漱石『こころ』 ――人生の終わりを考える

ツクツクボウシの鳴き声が聞こえたり、トンボが飛んでいるのを見ると、秋の訪れを感じます。

今年の夏もなんとか乗り切れました。去年の今頃、ムスコはようやくヨチヨチしだした頃だったので、家に籠もることが多かった(と思う)のですが、

 

 

2歳児はほんと元気モリモリ!

家にいてもイタズラばっかりして、私がギャオーン怪獣になってしまうもんですからお互いの発散のため暑い中公園へ向かうことしばしば・・・。

とはいっても、公園まで5分ぐらいですし、木陰なんかは案外涼しかったりして・・・何よりこの猛暑!公園にほとんど人がいない!ほぼ貸し切りのような状態イェィ♪(└(:3」┌)┘))イェィ♪

 

いやー子どもってほんと元気なんですよ。私なんかは日陰でぼーっとしてる中、帽子もかぶらず*1お日様サンサンに浴びて砂遊びしたりするんですもん。おかげさまで日焼け止めを塗っているにも関わらず、彼のお肌は立派な小麦色に。

 

まあ健康的でいいか笑

 

 

さて、長々失礼しました。本題に参りたいと思います。

 

 

主人公である「私」の先生。

 

今ひとつ掴みどころがなく、達観したような人生観を持っているミステリアスなヒト。

とはいえ、人間皆秘密のひとつやふたつあるわけで、誰しもにミステリアスな要素がある。

 

この作品で刮目すべきは、先生が「全て」を私に話したこと。そしてそのまま命を絶ったこと。

 

それと対を成すように、「私」の父親も病気に蝕まれ、床に臥せっていく。

 

このように『こころ』では複数人の「人生の終わり」が描かれる。

 

自らの手によってひっそり逝こうとする先生と、家族に囲まれながら徐々に向こう側へ逝こうとする父。

同じ死でも終わり方は人それぞれ。

 

「死」というのはその人自身を表すものだと思う。

 

逆に言うと「生」というのは皆同一。母親の胎内から産まれる無個性でちっちゃくて非力な存在。

 

そして彼らがどんな人間だったのか――どんな人生を歩んだか――それは「死」が訪れたときのみわかるんじゃないかな。

産まれたときはどんなオトナになるか誰も予想できない。全ては「終わり」を迎えたあとの結果論。

 

 

私は孤独死を恐れる傾向はここに要因があるんじゃないかな、とも思う。

看取ってほしいという欲求、それは「私自身(私の人生)を見て」という究極の承認欲求なんじゃないかな。

 

 

「私」の父には「私」を含め子どもが3人。他親類もいる。

先生は親類とは絶縁しているし、子もいない。

 

 

なぜそうなったのか(終わりの迎え方が人それぞれなのか)は理由がある。

作中では先生の長い長い独白に全てが記されている。そこに「否」を唱えてはならない。先生にとってはそれが理由だったのだから。

 

父の死に際の様相は――言葉が乱暴かもしれないが、スタンダード・・・なんだけど、第三者的に見るとこうやって死ねるのが一番幸せなのだと思う。

 

では先生は?

先生にとって看取ってくれる一番近しい存在なのは間違いなく奥さんだけれど、

Kの件がある以上奥さんに自身の全てを開示することができない。この矛盾が死ぬに死ねなく、先生を苦しめていたんじゃないかな。

 

ある意味「私」は先生を「死」へ導いた最後のピースのような形になったけれど、

先生としてはこれでよかったんでしょう。大勢に見守られ緩やかに穏やかに寿命を迎えるより、自身を理解しようするただ一人に全てを開示して命を絶った

「もう自分という人間はこれでいい」という諦め?

いや、私は

「こんなに頑張って生きたんだ」というむしろ前向きな低意もあったような・・・どうなんでしょう(^_^;)

 

 

まあこれらは今では簡単に「都会と田舎だからね」で片付けられる問題でもあるんですが、「死」と「自己開示」・・・これは意外と切り離せない関係なのかもしれませんね。

 

私自身も子どもが産まれて少ししてから日記をつけるようになりました。

結構なんでも(気候から息子の成長記録から旦那の愚痴まで笑)記していて、ブログも私自身の一つの姿ですが、この日記はより人間味マシマシといったところ。

言うなれば、生きているうちは誰にも見られたくない代物と言えますね(アハハー☆)

これもある意味「遺書」のような役割を果たせるな、と時たま読み返しては思うのです。

 

 

 

*1:ムスコは帽子が大嫌い

2023年7月映画まとめ

 

「今年のお盆休みは11、12、13で終わりだよ」と旦那に言われて衝撃が隠せないブログ主です。旦那は工場勤務なので大型連休化してますが・・・。世の中の人達働きすぎィ。

 

 

 

先月鑑賞した映画ラインナップ

  1. きみに読む物語
  2. 6デイズ / 7ナイツ
  3. ホリデイ
  4. 9デイズ
  5. ブレードランナー2049(別途感想あり)
  6. リオの男
  7. インディー・ジョーンズ 最後の聖戦
  8. オール・ユー・ニード・イズ・キル
  9. ザ・クリーナー 消された殺人

 

では、ここからワタクシの独断により(以下略)

 

ホリデイ

ケイト・ウィンスレットキャメロン・ディアスジュード・ロウジャック・ブラックと大物俳優しかでないロマコメ映画。恋してるジャック・ブラックってなんか珍しい(失礼)ジャック・ブラック臭は当然消せないけど(笑)絶妙な塩梅のコメディリリーフ感がむしろ見てて安心する。

そしてジュード・ロウの優男具合がまた良い。キャメロン・ディアスが一生懸命喋っているのをじっと聞いているところがすっごい好き。最早あれはフェチの域かも知れないんですけど、喋っているときにじーっと見つめられたらさあ・・・しかも覗き込むようにさあ・・・イケメンがさああ・・・・。あれは欧米系の方々がやるからいいんだろうな。日本人で同じことされるとちょっと怖いかも*1

あなたはジャック・ブラック派?ジュード・ロウ派?さあどっち?!

(私はジャック・ブラック派かな)

(でもひと夏の恋・・・♡とかならジュード・ロウだな)

映画ではケイト・ウィンスレットジャック・ブラックキャメロン・ディアスジュード・ロウカップリングでしたが、それぞれ入れ替えても面白い恋愛模様が見れそうだなと思いました。

 

リオの男

60年代の映画を観たのはこれが初めて・・・かな?撮影方法も日本語吹き替えの感じも今と全然違いますね。白っぽいフィルムの感じが良いです。後々観た『オール・ユー・ニード・イズ・キル*2と比べて思ったんですけど、フィルムって観てて疲れませんよね、1カット1カットも画が様になってるし。

あとはこの作品、役者さんの体の張り具合が半端ない。派手なアクションじゃなくて泥臭い系アクションですよね。飛行機操縦するし、不時着先にワニは泳いでるし。ノーヘルでバイクも運転するし。足場悪い建物で戦ってるシーンで足元バコって抜けるのが妙にリアルでヒヤヒヤする。

そして全速力で自転車も運転するし、走るし!

アクション詰め詰めで、観ていて超楽しかったです!

吹き替え声優さんも自由な感じ。ボートが岩に突っ込んで爆発するシーンで「痛ーーーーー!!」って吹き替えてたのは笑いました。テキトーすぎる(笑)

 

インディー・ジョーンズ 最後の聖戦

父と息子のテンポ感のズレが面白い。パパが基本的にのほほんスタイルで状況についていけてない。でもここぞ!ってときは決めてくれる感じが嫌いになれない。むしろ好き。インディーが崖から落ちて皆で悲しんでいるシーンが好きです。「皆で何みてんの?」って感じで後ろからひょっこり現れるインディーがかわいい。今回のヒロインも良かった。最後うまくインディーとの対比になるのがいいですね。遺跡の橋渡るところが何回観ても上手く撮ってるなあ・・・と思います。神を「ただ信じる」っているのも良いですよね。

インディージョーンズシリーズでこれが一番面白いと言う人が多いのも納得。

 

 

今月は以上です。ではでは。

*1:一時期流行った壁ドン顎クイなんかも(´^ω^`)ブフォwwwってなっちゃうので

*2:コチラはCGバリバリ

親子で楽しむ狂言の会 at 国立能楽堂

私の大好きな漫画の一つ『ガラスの仮面』。

 

 

読んでいて、この作品の世界観が「能楽*1」に通づるところがあるなぁと感じていました。

紅天女」とか諸にそんな感じですし。

 

keishumin.hatenadiary.jp

 

 

 

そんなわけで「いつか能楽に触れてみたい」とぼんやり考えていたところ

7/29国立能楽堂で「親子で楽しむ狂言の会」なるものがあるとHPで発見。

(8/5に能の会もありましたがこちらはすでに満席)

 

18歳以下であれば子どもは何歳でも良さそうでしたので、「これ幸い、

この機を逃してはならぬ」と旦那へ即提案。

 

だいぶ渋られましたが(まあ今どき興味あるひとのほうが少ないよね)なんとかOK。

 

親子3人で行って参りました。

 

超快晴

 

 

 

まず、能楽堂に入ってお出迎えしてくれたのは、狂言で使うお面達

乙の隣は「うそふき」です

猿の眼がこわい・・・

 

お面といえば、屋台でよく見るプラスチック製のアレのイメージが定着していたせいなのか、昔ながらの木彫りの精巧さにマジマジと見入ってしまいました。

 

っていうか全然一緒にしてはいけないんですけどね(汗)

 

本物じゃないけど本物のよう。目の出っ張り方、シワの付き方・・・ほら、乙のお面なんて自然な部分にテカリが入ってるでしょ?

 

木を彫って、上に胡粉と膠を重ねているそうですが、「そうやって出来ている」というのがわからないほど「面」というか、「顔」なんですよね。

 

ネットで能面や狂言面の一覧見てるとなんか怖いですもん。

 

職人技って凄い。こわい。

 

 

 

 

劇場内に入ると、こじんまりしてるけど、立派な能舞台が。席数もそんなに多くはありません。なので私達が取った席は揚幕の近くでしたが、鑑賞していて、見辛いなどの支障は一切ありませんでした。

 

国立能楽堂パンフレットより

 

 

開演すると、切戸口から前説のおじいちゃんが登場。正座をしての丁寧なご挨拶。

なんとこの方、能楽に従事されて80年なんだとか。わぁお、物凄いベテラン。

きっと私がこれから能楽を初めたとて、足元にも及ばないんだろうな。

 

前説では

能楽の歴史

・鏡板の二本松について

・巷で言われる「芸能」と「能楽」の違い

・これから上演される狂言のあらすじ

等々、興味溢れるお話が聞けました。

 

能楽が今のカタチになったのは室町時代から。約700年の歴史があります。天下人である織田信長豊臣秀吉徳川家康も「能楽」をえらく好み、保護していたとか。

 

 

そして「芸能」と「能楽」の違い。

能楽」は「古典芸能」と言われていますが、「芸能」ではなく、「古典芸術」なのだとおっしゃいました。

この意味は後々実感を以てわかるのですが、

「芸能」というのはお客様を楽しませるのが本分。

「古典芸術(能楽)」はお客様を楽しませることはもちろん、そこから更に先にある「目的」を見据えているのだとか。

 

その「目的」というのは・・・

きっと観ればわかります(説明放棄)

 

 

 

 

さて、前説が終わりますと、いよいよ本編が始まります。

今回私達が鑑賞した狂言は2演目。

  1. 二人大名
  2. 菌(くさびら)

 

狂言ってどんなの?と聞くと大体返ってくるのが

 

 

「コントみたいなものかな」ということ

 

 

 

当然私達のイメージする「コント」とは違いますが、「コント」と例えられるのも何となくわかるんです。

いわゆる笑わせるための「型」があるという点でコントも狂言も同じだなと思ったんですよね。

例えばアンジャッシュだったら、大島さん(児嶋だよ!!)と渡部のすれ違いとか、噛み合わない会話が様式美として可笑しいですよね。

 

今回の狂言で言えば、

 

二人大名だと

大名が通りすがりの一般人のオジサンにひたすら無理を言う → 一般人のオジサンがキレて大名に倍返し。

菌だと

庭に抜いても抜いてもキノコが生えてくるので山伏に祈祷をお願いする → キノコはむしろ増える。

といった具合。

なんとなく先は読めるけど面白いんです。堂内大爆笑でしたからね。しゃっくりしてる子いましたから。

 

700年前の芸事に、令和の子ども達が笑っている。

これってなんだか凄いことのように感じてきました。時空を超えたハーモニー(調和)というか。

企業のトップに登り詰めた方でも、「能楽」を嗜まれる方は多いと聞いたことがあります。*2

 

世代を超え、身分を超えて、惹きつけるもの。

だからこそ「芸術」なのかもしれません。

なんなら海外でも密かな人気らしいですね。

 

 

 

うん、何となくわかるな。

狂言って「ありのままの人間の滑稽さ」って感じがする。

肌の色も年齢も貧富も関係ない、ただただ人間としての可笑しさ。

 

能楽」って人としての何かに立ち返るってことなんだと思います。

それが前述した「目的」なんじゃないかな。

 

 

 

 

では話を戻し、コントと狂言の明確な違いはというと・・・・

ズバリ!

 

「喋り方と動き」です。

え?そんなこと?なんて言わないでネ

 

狂言って話し方と動きがとても独特。

これが何とも異世界めいていて、人間が演じているのに人間じゃないような。能舞台と客席にはなにか見えない壁のようなものがあるように感じる。間違っても第4の壁を超えてくるなんてことはない、そんな感じ。

演目が始まるときもザーっと大幕が上がるとかではなく、揚幕や切戸口からヌル~っと出てくるんです、演者が。

「あ、いつのまにか出てきてた」みたいな。

 

おもしろいのが、キノコ役を演じる人がいるんです。植物の役柄なんて現代の演劇ではあるのかな?基本あり得ませんよね。

しかも凄いのがちゃんとキノコに「見える」んです。別に衣装が、とかじゃなくて、それこそ「動き」が人外めいているから(もちろん褒め言葉ですからね!)

 

 

 

これこそ「今の演じ方」と違う点で、

今ってどんなカメレオン俳優と言われている方でもその俳優さんの「個性」って消しきれていないときってありますよね?

いや、逆に「あ!」と思わせる演技をしたとしても「〇〇さんってこんな演技もできるのね~」ってなりません?あくまで先行してるのは「その俳優」であって役柄ではない。

 

狂言は(恐らく能も)一度自分の個性はドロドロに溶かしてしてしまって、役柄という型にそれを流し込んでいるようなイメージ。

すなわち誰がやっても演目のクオリティーは一定になるんだろうなと思うんです。

ただ、そのクオリティは見ていてゾゾっとするぐらい一挙手一投足計算されているみたいに見える。

この感覚は演者の「動」の部分より「静」の部分を見ているとよくわかります。

止まっているときは「呼吸してるのかな?」ってぐらいピタッと止まるんです。そして演者同士でもこのピタッとする点が合わさっている。そして表情らしい表情もない。

 

でもロボットっぽいのかというと全然そんなことはなくて。確実に彼らは「人間」を演じているのです。

そして、個性がないからこそ「人間以外のもの」にまで役の幅が広がる。

 

 

 

観終わったあとは、なんとも不思議な気持ち。

人間の滑稽さや愚かさももちろんながら、なぜかそこから愛おしさのような感情も湧いてくるんです。

 

700年も前に出来たお話のはずなのに、古臭さは感じない。むしろ「同じなんだ」と感じる安心感。

自分も引っ括めて

「そうそう、人間ってこういうとこあるよね」みたいな。

 

能楽堂を出てからも少し時間がありましたので、

折角だしと、渋谷のスクランブル交差点でも歩いてみることにしました。

 

渋谷ヒカリエにて

 

人混み大嫌い人間なのに、そのときは人間に塗れてもいいかなって思ったんですよね。いろんな人間が見れるし。

家族連れ・カメラ回してる海外旅行客・布切れみたいな服でブラジャーやパンティがモロ見えのお姉さん(最近のファッションって奇抜ダァ)、バーンと入れ墨入ったおにいさん、この日は隅田川花火大会でしたので浴衣姿のカップルも沢山見かけました。

その瞬間はそれを見ているのが「楽しい」と思っている自分がいました。

 

この記事を書いている今は、もうスクランブル交差点もソコに行くまでの満員電車もゴメンですが。

 

そしてウチのムスコくんはというと・・・

実は開演してからぐっすり夢の中。公演が終わってからお目覚めでした(笑)

 

まだ2歳児には早かったかな。

 

いつか機会があればもう一度。

 

 

*1:能と狂言を合わせて能楽といいます

*2:営業職をしていたときのお得意先さん情報

2023年6月映画まとめ

先月の鑑賞映画はコチラ。

  1. レイダース/失われたアーク(聖櫃)
  2. 山猫は眠らない2
  3. ペリカン文書
  4. バンディダス
  5. トレマーズ/ブラッドライン
  6. チェイサー

 

 

以下、私の独断により印象深かったもののみ感想を・・・。

核心的なネタバレはありません。

 

 

レイダース/失われたアーク(聖櫃)

インディージョーンズのシリーズは、次作の『魔宮の伝説』だけ何故か観ていて(だいぶ前ですけどね)心臓抜くシーンがなかなかに衝撃的でした。

今作はそれに比べると生々しいグロ描写的なのはなく(全くないわけではございません)、シンプルに遺跡への探究心に突き動かされているインディーがステキでしたね。「アークってのがあってね・・・」と説明を受けて目を輝かせるところとか。スピルバーグ監督ってほんとロマンに溢れた人なんだろうなと思う。

 

いや、私は古代のロマンよりジョーンズ先生の講義受けて授業も聞かずウットリできればそれでいいですかね(オイ)

 

 

強そうなエジプト人とのタイマンで、始まった途端バーン!って銃で瞬殺しちゃうとことか、ナチスの軍服奪って着ようとしたら、インディーがむちむちすぎて服がサイズアウトしているとことか、コメディ展開も豊富。あなた考古学者でいいんですよね?って一回確認したくなるくらい体張って忙しない。

 

あれぐらいコメディに振ってくれると、多少怖いシーンあっても観やすいよね。

 

逆にヒロインはそこまで活躍することはなく。最初ガバガバ酒のんで強そうだったので、結構動くかと思いきや、思ったほど出番はなかった。まあ確かにキーアイテムとなる杖の先が見つかった時点で用無しではあるんだけれども。インディーがヒロインを助けに来たのに「やっぱ足手まといになるからもうしばらく捕まってて」って結局置いていくのは笑いました。

 

 

チェイサー

この表情のハル・ベリーが見たかったので視聴。近年稀に見る決死の表情じゃないですか?こちらの作品ではハル・ベリーの細かい演技の機微が見られます。カスハラにうんざりしてるハル・ベリー、息子が誘拐されて動転してるハル・ベリー、警察が頼りにならなくて吹っ切れるハル・ベリーハル・ベリーの演技を通し、「確かに母親って生き物はこういう精神性な部分ある」となぜか腹には落ちる。最後に特大の爆破シーンでもあったらスカッとしたかな。

 

 

今回は以上。

 

ではでは。

 

 

 

喋れない?喋らない?

ムスコ現在2歳と2ヶ月。

 

「歩く」に続いての一大イベント「喋る」を迎えつつある。

 

ムスコは何かを喋る。

でも

「あーちゃ、うーうー◎△$♪×¥●&%#?!」みたいな感じで何を言いたいのかはさっぱりわからない。

なのでこっちも

「お、お~~~・・・???」みたいなリアクションになる。

 

唯一ハッキリ話せることは

「でんちゃ!!!」

一語だけ。

電車のこともでんちゃというが、バスもでんちゃだし、自動車もでんちゃ、重機の類もでんちゃである。

 

心理士さん曰く「発語」はあるようだけれど、やはり経過観察は必要なようだった。要するに他者とのコミュニケーションがとれてこそ言語の完成形なのだろうな。

 

ムスコはコミュニケーションをとれない訳ではないが、「会話でのコミュニケーション」はあんまりとらないかも。

お茶が欲しければコップを渡してくるし、どこかに行きたければ抱っこを要求し、方向を指差しする。

で、なんでもないことを言いたいであろうときは上記にあるように、文字化けしたような言語で話しかけてくる。それではこっちも言葉のボールを投げ返せないので、一方通行型の会話になってしまうのだ。

 

ここから一体どういう神経回路を通れば、私達の話せるような言語体系になるのだろうか。不思議である。

なにげにこの宇宙語も聞いていて可愛らしいので、このままでもいいのにナ~~~と思うこともある。

 

これがゆくゆくは

「おふくろ、今日のメシ何?」なんていうようになるのだろう。いやいや「俺に構うんじゃねえクソババア!」かもしれない。

 

 

そうなるのはいつかな。10年後?15年後?もしかしたら明日にでも・・・(笑)

 

 

この親子の会話が可愛らしいので定期的に見てしまう。こうやって話せると楽しそう(*^^*)

www.youtube.com

 

 

 

 

 

ブレードランナー2049 ――「本物」とは何か

ゴ、、ゴズリング、、、、

またこの人は割を食う不幸な役なんかして。ぴったりすぎて観ててツラいウオ~ン・・・。

 

ブレードランナー』は初めてみたとき――デッカード刑事が乗っている車やレプリカント判別の装置、写真の解像度を上げるときのEnterキーのようなカシャカシャ音――ハイテクなのにどこか古臭い感じ。薄暗い街なのに活気のある人並み。この世界観が凄く好きな映画で、且つ2049は私の好きなゴズリングが主役なので観よう観よう、でも2時間半超えるのか・・・後回しやな・・・としていたら、プライムでの配信があと10日を切っていました。

ええい、しょうがない!と夜中に1人でひっそり鑑賞。日中はどうしても子どもがね・・・。お昼寝中に観るにしてもこの長さだと絶対途中で起きますので(汗)

 

結果・・・・・・・

観れてよかった・・・。すっごい良くて2回観てしまいました(いつにも増して寝不足)

 

ブレードランナー2049』だけ観ても楽しめるようには出来ていますが、個人的にはこの作品を観る前に『ブレードランナー』を予習しておくことは非常にオススメしたいです。

 

ブレードランナー』はあくまで世界観を楽しむもの。その土台があって初めて、2049のゴズリングが抱える自意識のお話が入りやすいと思うんですよね。

もちろん『ブレードランナー』でもレプリカントの自意識の要素は盛り込まれていますし、『ブレードランナー2049』でも世界観の構築(序盤の文字列での説明など)はありますが、比重の置き方を上手く変えているんです。

両方観てみてちょうど天秤のバランスが取れる感じといいますか。

どっちが好き?と聞かれるとすっっっっごい返答に困るやつです。

 

というわけで以下ネタバレありで感想を綴っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初も言いましたがもう、とにっかくゴズリング演じるKが可哀想でね・・・・・・・。

 

人間に混じってブレードランナーとして働くK。『ブレードランナー』のときは地球にレプリカントが存在すること自体がタブー*1。人間と一緒に働けるようになるまで彼らの人権・地位は向上しているのかというとそうではない。

Kに対するひどい誹謗中傷。そんなことをされても意にも介さない。それは従順型のレプリカントだから?本当に何も感じてないの?その顔、何も感じて無い訳なさそうだよね。すっごい悲しそうな顔してる、気がする。

 

前作、今作との共通点「登場人物の心情がセリフに表れない」

ブレードランナー』のときもそうでしたが、ロイ・バッティがなぜ終盤あのような行動に出たのか、スッパリサッパリわからない。特に明言もない。

 

でも考えてみれはこれは我々のいる現実もそうで、心の中をわざわざ言語化・体現化する人ってどれぐらい存在するのでしょうか。

つまりこの作品郡のキャラクター達は究極のリアルを演じていると思ったのです。感じたことを「わかるように」お出しするのではなく、ただただ事実的な行動のみをもってして、観客にキャラの心情を委ねる演出。

特にKは寡黙なタイプですから余計に分かりづらい。

ウォレス社で働くKと同じく9型のラヴに「仕事は楽しい?」と聞かれて無言。絶対楽しくはないでしょうが、辛い悲しい腹が立つ・・・こういったことも何も言わない。彼が本物の人間ならば私達もなんとなく察することができますが、彼は人間に従順型のレプリカントです。痛みも感じず、傷も糊で塞ぐ。やはり彼は人間ではないのです。

そういった設定ならば「楽しい」と返すのが正解な気もしますが、そんな風に全く見えない。シンギュラリティを起こしているのかと言うとそれも微妙。AIのジョイとの甘い時間も上司であるマダムから連絡がくればすぐさまジョイをシャットダウンする。

 

とはいえ見本のような従順型のラヴも楽しさというより使命感のような感じで働いているように見えます。でも彼女の思い切りの良い感じが個人的には好き。アクションもかっこよいです。

 

Kは愛情を感じているのか、感じたいと思っているのか。とにかく分からないことだらけなのです。ただあるのは哀愁だけ。

 

木製の馬の記憶が、作られた記憶ではなく、本物の記憶であったと確証するシーンでの「・・・・・・ちくしょう!!!!」

ここで彼の感情面はだいぶ揺れ動きます。激昂したシーンはここだけ。自分はレプリカントではなく人間?本当は魂が宿っていたのか?感情があったのか?この「ちくしょう」はそういった意味合いに取れました。観た瞬間はまさか激昂するとは思わなくて、喜びに涙するのかなと予想したので混乱しました(汗)

 

今作こういった内在化された、複雑な心を演出するのが上手なんです。

結局自分は「人間でなく本物をミスリードさせるためのレプリカント」だった、というのが判明するシーン。

ここでは役者の表情ではなく、見えるのは影だけ。どんな顔でKがこの事実を受け止めているのか。それは私達の想像力で補わなければならない。

 

人間とレプリカント

 

本物は人間。レプリカントはどれだけ人間に近づこうとも追い越そうとも所詮は作られたもの。

 

ここで違いとして明言されるのが魂の有無。

 

でも魂ってなんだろう。精子卵子が出会って子宮から出てくれば魂は宿るのか。

わたしは感情が備わっているならばそれはもう魂が宿った本物だと思う。

すなわち、それは「他者を慈しむ心・想う心」とも言えるんじゃないかな。

 

ハリソン・フォード演じるデッカード刑事にウォレスが尋ねる。「デッカードどレイチェルが結ばれ、子が産まれたのは初めからタイレル社に仕組まれたことだったんじゃないのか?」と。『ブレードランナー』にてデッカード刑事はレプリカントだったのか?と示唆するシーンがあります。今作はそこにも言及してくれました。結局のところそれはわかりません。デッカード刑事に聞いてもわからんわな。レプリカントの設計者は殺されてますから、なぜレプリカントであるレイチェルに(デッカード刑事がレプリカントだったならば彼も同様)生殖能力が備わったのか知るものは誰もいませんね。

 

ただ、デッカード刑事が言ったこと

「俺は本物を知っている」

デッカード刑事は娘の安全を思い、他人として生きていくことを決意した。自身が例えレプリカントであったとしてもこの想いは間違いなく「本物」

どっちが人間だレプリカントだとかそんなことは些細な問題。

 

ただ、この世界の秩序の壁といえる生殖能力。これをレプリカントが備えた場合、人間とレプリカントの境は消えることとなる。これは世界規模で見れば大問題である。

どちらが「本物の」覇権を握るのか。その争いが生じる。

しかしながら今現在も機械のようなお目々のウォレスが経済界を席巻しているし、孤児院ではレプリカントらしき男性*2が人間の子どもたちを労働させている。最早ジワジワ人間の境界線は有耶無耶になりつつある。

 

けれどこの作品はそんな大仰な落とし所にはしていない。なにが本物かそれは争いではなく、前述したようなもっと身近なところにある。

 

抵抗軍に「デッカード刑事を殺しなさい」と命じられてKがとった行動。デッカード刑事をウォレスのもとから救い出し、彼の娘の元へ命を賭し送り届ける。

 

このKの行動こそ作り物のなかに見えた「本物」なのではないか。自分の利益を度外視したその行動こそ、明確な「意志」を伴ったものなのではないか。

 

 

この利他的行動が私は観ていて辛かった。でもこれでKは報われたんだな。そう思うとなんだか私自身も肩の荷が降りたような。

 

 

 

ハリソン・フォードが出てきてからライトがチカチカする演出。前作を意識したのかなあ。

ハリソン・フォードは終盤近くまで出てこなくて、でも間違いなく彼の物語でもありました。

 

これがまたゴズリングに輪をかけて哀愁が・・・・(うううう)

 

 

レプリカント変遷(劇場公開分のみ)

 

短編映画はどんな感じだったのか・・・気にはなってる・・・。

 

 

《2023.11追記》画像差し替えました。

*1:地球外での労働のために作られた人間だから

*2:確証はないです。Kがお前記憶力いいだろ?といっていたので

SilkSonicっていいよね

SilkSonicとは・・・

グラミー賞を計11部門受賞している"音楽界の至宝"、ブルーノ・マーズと、グラミー賞を計3部門受賞しているアンダーソン・パークが生み出した奇跡のスーパー・プロジェクト「Silk Sonic / シルク・ソニック」    ――タワレコオンラインより引用

はい、要するにセンスの塊同士が出会ってしまった大事件です。

 

今のところアルバムとしてリリースされているのは2021年の『An Evening With Silk Sonic』の1枚のみです。

 

このアルバムはこれまでのブルーノ・マーズ名義で出してきた『Doo-Wops & Hooligans』や『Unorthodox Jukebox』『24K Magic』のどれにもテイストが当てはまりません。というか上記3枚のときも毎回ガラリとテイストは変わるんですけれども、今回は特にリラクゼーション寄りというか。ノリノリでダンスするような、聴いた瞬間にバツン!とフィジカルに訴えるような曲は少なくて

例えるなら「南国リゾート」とでもいいましょうか。寝る前の晩酌時だったり、夜風に吹かれてボーッと散歩しながら聴けるような味わい深い曲が多い印象です。

聴けば聴くほど魅力が増していくような、そんなアルバムでございますね。

初めて知ったのですが、こういった楽曲は「スウィートソウル」と言うそうです(フムフム)

 

もし日本でライブをするとなると、京セラや東京ドームでは箱が大きすぎる気がする。こじんまりしたライブハウスもしくは野外ステージなんかが良さげだなーと勝手に妄想などしています。とてつもなく早いスパンでまたブルーノが来日するわけだけれど、いつかSilkSonicとしてライブしに来られる日も来るのだろうか・・・ドキドキ。

 

 

 

では一曲一曲個人の感想をサラリと書いてみます。

 

 

イントロ

これでライブが始まると想像しただけで、めちゃめちゃたまらんです。ライブ行きたい。

Leave the Door Open

アンダーソン・パーク氏の静かに始まるAメロからの、ブルーノの開放感のある歌声Bメロが半端ないです。そしてサビでまた静かになる。この落差が好き。

BET Awardsでのパフォーマンスでは最後おふざけをしながら退場する二人がカワイイ。

 

Fly as Me

アンダーソン・パーク氏がメインボーカルです。フロア全体で一緒にノリたくなる一曲。何となくだけどアンダーソン・パーク氏はリズムの取り方が心地よいですね。ブルーノは終盤近くまでコーラス隊と一緒にいます。コール・アンド・レスポンスもありライブでも楽しいこと間違いなし。

 

After Last Night

聴いてると眠くなります。α派ドバドバな曲。「lalala・・・」のところは夢の中にいるようなフワフワ感があります。

 

Smokin Out the Window

やっぱり唐突の「this b****!」のところが好き。MVではなぜか途中倒れだすアンダーソン・パーク氏の茶目っ気にもご注目。きっとノリの良さでは彼の右に出るものはいないのだろう。

 

Put on a Smile

切ないソウルフルメロディー・・・聴かせてくれますねえ・・・。この曲はキーも高いところがあるけれどブルーノだとうるさく感じないのです。イヤホンで聴いて酔いしれましょう。

 

777

ギター(ブルーノ)とドラム(アンダーソン・パーク)のセッションが最高にかっこいいよ!サビの最後「セブン!セブン!!セブン!!!」で最高潮に達して弾ける感じが良いです。

 

Skate

口ずさみやすいです。キャッチーなメロディで老若男女好きだと思います。人に勧めるならこの曲。皆様ぜひ聴いてskate中毒になりましょう。

 

Blast Off

タイトルごとく、解放感、夜の静寂、物事の終わりって感じの曲。今日も終わったなあ、みたいな。サビ部分最後のハーモニーが気持ちいい。アルバム最後の曲に相応しいですね。

 

ちなみにカバー曲としてコン・ファンク・シャンの『Love’s Train』もリリースしております。曲とは関係ないですが(パフォーマンスは言わずもがな、素敵です)、ビルボードミュージック・アワードでブルーノとおててタッチしてるのが純粋に羨ましい(始まって3:30あたりのところですね)

私なら一生手は洗わない(真顔)

 

やはり前回ライブ参戦したときにVIP席をとらなかったのが悔やまれる・・・。

10万ちょいで、あの距離感で、ブルーノ・マーズが拝めるなら安いものというのはバグった感覚*1でしょうか(汗)

私が当時行ったときはアリーナの1階部分は皆立って鑑賞するようなスタイルで、上質なクラブのような感覚が味わえました(クラブ行ったことないけど)

そこはそこで楽しかったんですが・・・・・・タラレバ言ってもしょうがないけど・・・・・・でもやっぱり推しは近くで見たいものですよね?!

 

 

てことで今回は以上!

 

ではでは。

 

 

 

*1:独身謳歌時代