日がな一日主婦の趣味ブログ

本と映画とエトセトラ

なんもないけど何か書きたい

映画でも観ようかと思っていたのだけれど、寝かしつけをしていたら気が変わったのでおもむろにパソコンを開いてみた。折角なのでなんか書いていこうと思う。

 

 

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起きて、顔を洗って、洗濯物を回す。その間に朝食を済ませて洗い物をする。

洗濯物を干して、掃除機をかけ終えたら公園へ行き、たっぷり遊ぶ。

帰ったら昼食の準備をする。今日は梅・鮭・ツナマヨのおにぎりとスモークドオイスターの缶詰で和風パスタを作った*1

食べ終えたら、ムスコはお昼寝。私は自由時間である。日が暮れだしたら洗濯物を入れて畳み、晩御飯の準備に取り掛かる。

旦那が帰宅すると三人で食卓を囲み、食べ終えたら私は洗い物、旦那はお風呂の掃除もしくはムスコと遊ぶ。

お茶などを飲みまったりしたところで、旦那とムスコはお風呂へ。私はその間に排水溝など台所の洗い場の掃除をしたり、お風呂上がりのお茶や保湿剤の準備をする。

お風呂から上がってきたムスコをタオルで拭き、パジャマに着替えさせる。寝かしつけは最近、ムスコが絵本を手渡しに行ったほうがするという暗黙の了解となった。今のところ割合は半々である。ムスコが寝入ったら私もお風呂に入り、上がれば自由時間である。

 

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「公園」の部分が「スーパーへ買い物」になることもあるが基本的には型にはまった生活をしている。

刺激的なことは何一つとしてないけれど、この瞬間も今だけだな、と思うとなんだか少し寂しい。

 

公園で好き放題遊んでいるムスコを見ていると、ナイン・ストーリーズの「小舟のほとりで」を思い出す。

子どもはいつまで子どものままでいさせていいのか。その境界線を描いた作品なのだけれど、暗いニュースばかりで厭世的になってしまう今の世で余計に「箱入りにしたい」「ずっと子どもでいればいいのに」という願望がでてきてしまう。

そんな親の思いとは裏腹に、公園で保育園児や幼稚園児達の集団に果敢にも混ざろうとするムスコが健気だ。恐らくどう育てようと彼らの目線は内ではなく外に向くんだろうなあ。

そこではいろんな理不尽が待ち構えているとも知らず。見た目・言葉・お金の有無etc

「小舟のほとりで」のライオネルはユダヤ人。「なんかみんな自分にだけ態度が冷たい」とか「ひどい言葉をかけられた」とか母親のブーブーもいずれは誤魔化しきれなくなる世界の現実がいずれはやってくる。そんななかで「今、この瞬間」を楽しく過ごそうとする彼らのなんと愛おしいことか・・・。

 

今いるところから引っ越したら、働こうと思っているのでこのルーティンもなくなるわけだ。ムスコも幼稚園ないし保育園に入り、大人の一員になる準備をなくてはならない。

大人になったら楽しいことがいっぱいあるよ!と今は胸を張れないのが悔しい・・・。

 

 

私の周りには、こんな鬱々した人間となんで付き合ってくれるんだろうというほどポジティブの塊のような人間もいる。

子どもが産まれてからめっきり会わなくなったが、その子といると何故か世界は明るいもののように――というより、こんな子がいる世の中ならまだまだ捨てもんじゃないなと感じた。

 

ムスコに「そういった人間になれ」というのは当然私の子どもなのだから難しいことだろうけれど、そういったご縁が彼にもできるといいなと思う。

 

 

 

*1:おにぎりを握っていたらムスコが缶詰を開けてしまったからである