語り過ぎて、いつもの倍以上の文量になりました。お時間ある方お付き合いください。
むかーしむかし、アニポケフリークだった私はDPまで毎週欠かさずアニメを視聴し、毎年の映画も欠かさず通っておりました。
あとにも先にもここまでハマったコンテンツはないと思います*1。
では、そんな私がなぜアニポケオタクから離脱することになったか・・・
一番大きな理由が
「ロケット団がめちゃくちゃ鬱陶しくなったから」
理由は意外とシンプル。
サトシのピカチュウへの執着が凄すぎる。他にも珍しくて強いポケモンいくらでもいるでしょうに、と。
悲しいかな、幼き私の中ではロケット団はストーリーに水を差すだけの存在。イライラするから観るのやめよ、と潔くポケモンから卒業。なのでDP以降のポケモンはマジでわかりません。DPもちょっと惰性が入ってましたが。
しかし、大人になって気づいた――なぜロケット団がストーリーに不要と感じるに至ったか。逆になぜそれまでは彼らをストーリー構成の一員として受け入れられていたのか。
この発見は――私の個人的すぎる――世紀の大発見とも言えましょう。
今はロケット団むしろ大好きです(邪魔とか思っちゃってゴメンナサイ)
私は現在金銀(ジョウト)編の途中まで観ていますが・・・なんというか・・・・・・途中から雰囲気変わりませんか???
いや、大まかなストーリーは同じなんです。サトシはポケモンリーグへ出場するためにバッジを集めて、もちろんその道中でポケモンゲットもする。
私の知識と語彙力では説明が難しいのですが
なんとなくターゲット層が、これまで(オレンジ諸島まで)は大人と子ども双方を対象にしていたのが、ジョウト編からは子ども向け一本に絞ったのかなという感じがしました。
「ポケモンかわいい~。完。」って感じ。
いやいいんですよ、王道な子ども向けアニメ。
我が家でも今流行りのキッズアニメ「パウパトロール」を息子と楽しく鑑賞してますから。ワンちゃん達がずっと尻尾フリフリして走り回ってるのがカワイイ。
なので、それ自体が悪いわけではなくて・・・。
急に大人が置いてけぼりになるので、動揺したかな。特にリザードンの谷あたり。
アニメって難しいですよね。何でも表現できるからこそ、どこまで作り込むかはクリエイター次第。
先日の金ローでやってたリトル・マーメイドは「あの嵐の海や海底の表現だけて何人のアニメーターが倒れたんだろう。アリエルの表情筋もよう動くわあ。」って引くぐらい恐ろしいクオリティーで。久しぶりに観て、感動超えてむしろ恐怖におののいてしまった。どうせなら翌週はポニョを観て世界屈指のアニメーションスタジオの人魚姫比べしたかったな。
ジブリ版の海の表現も超ファンタジーで特殊だったので。津波が魚になってたり。あれもあれでとんでもなかった気がする。
閑話休題。
当初アニポケが作り込んでいたのは「キャラクターのリアリティ」そして「そのキャラ同士の相互作用」、つまりポケモンもポケモントレーナーも実際は存在しないけど「人間含めこういう性格の生き物っているよね」「じゃあ彼らが出会うとお互いにどんな変化が生まれるんだろう、どんな成長を見せてくれるんだろう。」というのが物語のテーマになっていた(過去形)んじゃないかな。
それぞれキャラクターにリアリティを出すならば、当然彼らの生きている世界の様相もなるべくリアルでなくてはなりません。その部分を全て視聴者に見せる必要はないですが(そうすると逆にリアリティがなくなる気がする)、世界観=土台ですので、作り込んでるに越したことはないでしょう。
そこで非常に良い立ち回りをしていたのが、ロケット団3人衆。
(前置き長くてすみません)
最初にロケット団が登場したとき、彼らが口癖のように言っていたことがあります。
「サラリーマンの哀愁だ(ニャー)」と。
リアルタイムで観ていた当時は気づいていませんでしたが、ムサコジニャースはロケット団から給料を貰い、働いているサラリーマンなんです。カントー編でチラチラ露出するサカキ様から読み取れるようにロケット団ってポケモンを盗むだけを稼業にしているわけではない。観光業やらミュウツーの研究開発なども行っている。企業としての規模は結構でかいんじゃないかな(明言はされないので予想)
その末端の末端の下っ端がムサシ・コジロウ・ニャース三人組なわけで、彼らは常に借金まみれの薄給で働かされています(正確には放置気味かな)しかも生命の危機が伴うような指示も平気で飛んできます。サカキ様曰く「あいつらなんぞどうなろうが知ったこっちゃない」とのこと。うわあ・・・なんかリアル((泣))
この三人の出自もおもしろいですよね。
ムサシはごはんも碌に食べることが出来なかった極貧家庭。雪が積もったときに「雪に醤油垂らして食べると美味しいのよ!」って言っていたのは明瞭に覚えていて、幼い私はそれを実行したくて祖父母宅でお願いしたところ*2、シロップを庭に積もった雪にかけて食べさせてくれました。ただの雪にシロップですから普通に美味しかったです。
しかしどんな貧乏でもこれは主食にはならないよ。これ以上の貧しさってあるのだろうか。
一方コジロウは超がつく金持ち家庭のボンボンだったのですが、許嫁と反りが合わず、家出。彼の凄いところって今までの生活水準からは考えられないほどひもじい生活に成り下がっているはずなのに、なんやかんやそれを楽しんでいるフシがあること。ポケモンを強奪するためのメカをノリノリで開発・操縦してますし。ボンボンっぽく(もやしっ子っぽいという意)ムサシに尻に敷かれる感じも良いです。王冠集めは私も真似をしましたね。
あれ?私意外と昔からロケット団好きじゃないか?
そして一番悲壮感あふれるのがニャース。
喋れるポケモンというのは劇場版を除けば私の記憶では存在しなかったはず。お金を稼ぐため、「喋れるニャース」を売りにしようとムサシとコジロウがニャースをステージに立たせた事があるのですが、観客の反応は「喋れるニャースなんていねえよ!どうせ腹話術だろ?」というのだから驚き。この反応をみるにめちゃめちゃレアなポケモンなんですよね、こんな悪徳企業の下っ端にいるのはもったいないぐらいの才能がある。
飛行船で一悶着があった回では、ニャースが飛行船の取説を読んでムサシやコジロウに指示を出す・・・なんて場面も。人間以上にデキるポケモンだよキミ。
しかしこの言語能力の取得とともに「引っ掻く」以外の攻撃技を覚えられなくなってしまうという、バトルを生業とするポケモンとしては使えなさすぎる体質に。(恐らくこれがきっかけで団の超下っ端の位置にいるんでしょう)
きっとこの価値をわかってくれる環境やトレーナーとの出会いがあればこんな生活はしてないんだろうなと思うとやきもきせずにはいられません。
この悲哀は『72話 ニャースのあいうえお』に全て詰まっているのでアニポケにご興味出たならば履修必須です。今なら公式Youtubeで配信してます。
三人ともロケット団じゃなければ、どこにも居場所のない三人なんですよ。頼る宛もないんです。
このキャラクター設定が妙にリアル。この世界にもこうやってギリギリで生きている人間がいるんだなと。しかも彼らは腐ることなく当に「前向きロケット団」の精神で日々を生きている。コメディリリーフを担っているおかげで子どものうちはこの事実には気がつきようがありませんでした。
今観てみると、日々の暮らしぶりもサトシ達一行より粗末なもので。サトシ達も大概貧乏そうだししょっちゅう野宿をしてますが、彼らは街にさえ着けば、ポケモンセンターで寝場所もお風呂も借りれます。しかし「悪という設定」のロケット団にはそのサポートはない・・・。
この最底辺の部分をアニポケは途中から切り取ってしまうんですよね。そんなブラック企業で働いて、貧乏に苦しんでいる人間は存在しないようになる。ロケット団はいるけど、いる「意味」がなくなる。
これは完全に子ども向けアニメにシフトしたことによる副作用だと思っていて。
子どもをターゲットにしたコンテンツって悪役の存在しない世界(例:サザエさん、ちびまる子ちゃん)か、もしくは誰もがヘイトを投げていいような紋切り型の悪役(例:アンパンマン)が出てくるかどっちかなんですよね。
こういった作品群はいい意味で、考えずに楽しめる。なぜなら「平和な世界」を前提としているからです。
極端なことをいえば、蛇口をひねれば水が出るとかと同じように
「悪いことをする人間は存在しない」もしくは「悪とは存在したらば倒されるものだ」というのが常態であるということ。
ロケット団三人衆は強いて言えば後者だけれど、彼らがボコボコにされるのを見ていて気持ちがいいかというと、私はそうじゃないなと。
「次も頑張ってね。」というと変ですが、彼らのことはある種の同情スタイルで見ていました。
だからこそ、建前上悪役にも関わらず、サトシ達と手を組むようなシーンだったり、サトシ達がロケット団の口上をパクって登場するシーン(メタモンの回だったかな)なんかでも、違和感なく受け入れ、楽しむことが出来ていたのかなと。
本当に悪役として定着していたら多少なりとも嫌悪感はあったと思います。敵と手組むなよ、とか敵の真似事するなよ、とか。
この善悪で計れない非常に繊細な役どころを、むしろアニメのプロットのなかで一番大事にしなければならなかったはずなんですよ・・・!
そこがこの作品の個性だったはずなのに・・・。
逆にアニポケを子ども向けに「平和な(悪性のない)世界」として土台を挿げ替えたかったのであれば
サカキ様をメイン悪役に据えるか、そうでないのならばムサコジニャースは退場させなければならなかった。
だって彼らは悪役に「見える」だけで私達と同じ社会生活に喘ぐ等身大の大人だから。
そこの要素を排除すると「ただのみみっちい小悪党」に成り下がるわけです。
「なんだかんだと言われたら~」の口上シーンがカントー編オレンジ諸島編あたりは結構アニメーター側も気合入れて描いている(多様なパターンがある)ので制作側でも愛されキャラだったんだろうなと勝手に解釈しています。
百歩譲ってロケット団を退場させることができないのならば、一旦サトシの旅は終わらせるべきでした(強気)
まあでも子ども達はそこまで気にしないよなあ。
御三家もハードな過去を持つフシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメよりチコリータ・ヒノアラシ・ワニノコのとにかくあざと可愛い感じほうがウケも良かったし(過去の記憶調べ)と凹むエンドレス。
あのスタンスも間違っているというつもりはないけれど*3、
第一話からしっかり追ってきた身としては、ロケット団が一番の矛盾になってしまっていて、子どもながらに違和感を感じた*4。
それ故、視聴から撤退したんだろうな*5、というのが私の推測するアニポケオタク引退の筋書き。
尚の事悲しいのが、アニポケの最終回でサトシはなんとなく大円団な感じで終わらせてもらっていましたが、ロケット団は仲違いをして、謎にロケット団内で配膳係として働くことになっているという最後。
雑い。
結局彼らの設定は活かされることはなく、ただずっと物語の構成上、とりあえずいつもいるだけの存在になっていた。「なんだかんだと言われたら~」を言わせたいだけの存在。
最初からそういった世界観なら何も腹立つ事はなかったんですけどねー・・・。
とはいえ大人の諸事情もあったんでしょう。そもそもあのクオリティで年単位放送してたのが凄すぎる。スタッフ達も疲弊気味だったでしょうし。少なくともストーリー構成の首藤剛志氏は体調崩しておられた。
初期の神作品っぷりを知っているからこそ、「どーーぅしてーーーー?!(サカナクションのアイデンティティのノリで)」となってしまった訳です。
この売れっ子アニメ(アニメに限らないか)をどう舵取りするかって難しいですよね、一度軌道が見つかればそれでいいんでしょうが。
ポケモンの場合はここまで売れないだろうと高をくくっていたのかな。売ろうと思って作ったものより、作りたいと思って作ったもののほうが面白かったりしますもんね。しかし結果として売れてしまうと、作りたいものが作れなくなるのかもしれません。そのあたりの内部事情はわかりませんが、関わる人間が増えれば増えるほどやりたいことがしづらくなるのは事実です。そう考えると今あるご長寿国民的アニメは凄いんだな、とも思います(ひとつも観てないんですけどね)
アニポケの最初の映画3部作を観たいと思っているのに、なぜかprimeでは最近のは観れて初期ほうの映画だけみれず、泣いてます。
いっそのこと中古とかで買ってしまうか・・・。
首藤さんが書かれた小説「ポケットモンスター The Animation」はより大人向けにシビアな世界設定となっているみたいで、読んでみたいのですが、
めっさプレミアがついており手が出せません。
そんな感じですのでアニポケ熱がブスブスと不完全燃焼中。
しなぷしゅやパウパトロール徘徊に徹している今日このごろでした。
ここまで長々とお付き合い下さった皆様ありがとうございます!