日がな一日主婦の趣味ブログ

本と映画とエトセトラ

叱らない育児と世間の目

子育てのスタンスというのは実は一貫していないものです。

なぜなら子どもは成長し、どんどん外部環境にアクセスしていくため親の子に対する感覚などちっぽけなものになっていくからです。家族という環境から少し外に出ていくだけでそこは子どもにとって異世界が広がっているはず。そしてそこに順応していく。

そんな子をみて、親のほうが考えを改めることのほうが多いなと感じる今日このごろ。

 

メンタリストDaiGoさんがYoutubeにて「親が子どもにできることは意外と少ない」と話していましたが、私もその考えに同意です。動画内では親が子に与える影響は0~10%(虐待があると別)だとおっしゃっていましたね。

https://www.youtube.com/watch?v=jOk6T-ypxfM

 

これを踏まえまして叱らない育児は可能なのかという話をしましょう。

 

子どもは叱るべきか叱らないべきか。

理想は叱らないほうがいいが日々のオペレーションの中ではそうもいかない。

しかも叱るを一つとっても感情的か理性的か。例えば私が夏休み中に激昂した桃事件は叱っているわけではなく、感情をぶつけただけ。子どもと理性のレベルが同程度になって起こったことかなと思っています。

 

keishumin.hatenadiary.jp

 

叱るというのは言わば教育。感情的、理性的に関わらず、するべきことやしてはいけいないことを教え込むことだと思っています。

しかしながらそれを完璧にできる教育者はどこにいるのでしょう。親と子は一体と思っている人、結構いませんか?親が子どもにとって完璧な教育者なのでしょうか。

子どもを見たら、次に確認するのは親御さんの素行・・・なんてことないでしょうか。

当たり前なんですが、親と子って別個体なんですね。

もしあなたが子どもというカテゴリーに属する人間をみたときに、そのひとの行いで気になることがあるなら、その子自身と接してあげてください。

ほんとに驚きなんですが、「〇〇したほうがいいよ」というお節介って何故か必ず親にとんでくる。

一例をあげましょう。これは東京に住んでいたときに起きた出来事なのでムスコが1~2歳の頃ですね。

スーパーで買物をしていると、棚の商品(インスタント食品系)が気になったムスコは商品を触っていて、私もそれを近くで見ているといったことがありました。

気づかなかったのですが、その後ろには人がいて急に「棚のもの触らすな」と私に声をかけたのです。

 

いや、知らんがな。うちのコの素行が気になるなら直接言えや。その口調でな。

とまあ今ならこれにプラス心で中指ぐらい立てると思いますが、

 

当時は「やってしまった・・・乳幼児が商品触ってたら嫌な思いをする人もいるよな・・・」と感じてすぐ「すみません」と言ってその場を離れました。

 

今ならさもだるそうな感じで「ア、サーセーン」と言うだけに留めると思います。私の子育ての過去記事からもわかると思いますが、最初はどうしても世間様の目が気になってしょうがない。

怒られたらそれはなおすべきもの。そういう(恐ろしい)固定観念が私の中にはありました。

 

実は子どもを育てているとこういう胸がキュッとすることはよくあって、これは私自身が経験したことではないですが

ある友人は電車の中でベビーカーを蹴られたと嘆いていましたし、

旅行先のバイキングではとあるお子さん(幼稚園入るか入ってないかぐらい)が料理を自分で盛ろうと頑張っていました。お母さんも横で見守っていました。

なのに、「なんでこんなモタモタしてんの」「さっさとしなさいよ」とボソボソではありますが、あからさまにその親子に対し毒づいている人がいました。

 

申し訳ないですが、基本こちらに投げかけられる(表出化する)「〇〇したほうがいい」「✕✕すべき」って私たちのためになること一個もないんですよね。それを真に受けて子どもを"叱る"なんてやめたほうがいいなと思いました。

もちろんインターネットやSNSでの子育て論争(批判)も同様ですよ。

逆に本当にありがてえってなったときってずっと見守ってくれて、ほんとに「困った」ってときに手を差し伸べてくれる人です。

あるとき私とムスコ(当時2~3歳)は本屋にいました。私は欲しい本をレジに持っていこうとしましたが、ムスコは「嫌だ!」と梃子でも動きません。

そのとき、スッと「私よければ(ムスコを)見ておきましょうか?」とお声を掛けてくださったおばさま・・・いえ、レディが現れました。

このレディのお陰で私はこのとき無事本が買えたと言っても過言ではありません。ありがとう・・・そしてありがとう・・・。

 

このやりとり(社会と私たちという視点)のなかに感謝こそあれど子どもを叱る要素なんてあるんでしょうか。

ありません。

 

主に叱る必要性が出てくるのは、目的(タスク)の達成(処理)か周りの目のどちらかしかないはずです。

 

私は現在それを幼稚園に丸投げさせてもらっている状態。というか、幼稚園や保育園の役割ってまさしくソレでしょう。

園長先生が機会があるたび必ずおっしゃるのですが、

「お子さんのことはダメ出ししなくていいので、家ではできてるところを褒めてくださいね」

この言葉は、叱る(教育する)というのをお任せしていいんだという安心感と同時に、園への信用性という意味でも担保になっています。

なので我が家では叱ることはほーーーとんどありません。というか叱らないほうが日々のタスクがスムーズまであります。感情的になることも桃事件以降は今のとこありません。

叱らなくなって気付いたのですが、子どもの気というは秒単位でコロコロ変わります。

「やらない」と言ってたことを5秒後に「やってみる」というのなんて日常茶飯事。

 

子育てとは

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス

だったのです。

 

ただ、周りの目を気にしないに関しては相当意識的にしないと難しいです。まず、マインド(行動に出す必要はなし)としては、

素人は黙っとれ

ーー城島茂

というのをいつでも引き出せるようにします。素人というのは我が子に対する勉強的な姿勢という意味で。

ところで一番周りの目が気になってしまう場所ってみなさんどこですか?

私は公園です。

公園ってーー数年通い詰めて知ったのですが、言わば多民族国家

価値観の違う部族・民族が共存している状態です。なので同じ子どもを持つママ・パパ同士でもピリつくことが結構あります。特にパパはオブラートに包みませんからねえ。それ言って大丈夫?みたいなことも。

実は私も当事者だったことがありまして、ムスコ(当時3歳)と公園へ遊びに行った時。ムスコは外で遊ぶときは昔からそうだったのですがあまり私とは遊びたがりません。必ず他の誰かに絡みに行きます。なので少し離れたところから見守ることがほとんど。あるときふと様子を見るとなんかムスコが他のママにめっちゃ睨まれている。

なんだなんだと思い駆けつけてみるとどうやら滑り台をお友達と滑る際に、

色々わかりづらくスミマセン

という状況になったようで、相手方は服が汚れたことにご立腹。私もすぐ謝りましたが「はあ・・・」と睨まれて終わりました。

これまでは私が「はあ?」と思ったエピソードでしたがもちろん逆のことも(気づいてないだけで)多々あると思います。このときは結構人前にも関わらず強めに叱りましたが、マジで良くなかったなあと反省しています(現在進行形)

まず、叱るにしても人前はなるべくやめたほうがいいです。周りの人に気を使わせます。その後、私はムスコを見張るように張り付いてやんややんや言っていたのですがそれを見ていたまたまた他のママに「全然いいんですよ~。(ムスコは)優しくしてくれてますから」とフォローいただく始末。

カッコ悪すぎて穴があったら入りたい状態。

そしてこのすべり台で遊ぶときに足を背中につけるというこの行為。

・・・意外とやってる子多いですよね。場合によっては「ねえ!足で押して!」って自ら言う子も。これもこの事件の後に気づきまして、

やべえ、私教育者としてダメダメやんか・・・と今でもその光景見るたびにちょこっと凹んでるんですよね。

 

このことがあってから、もし何かムスコに物申すことがあるときは家の中で。

そして、子どもの遊びに親は一切介入しない。例えば順番抜かしそうだな・・・と気づいても放置です。子どもたちの裁量にそこは任せる感じ。まあ、絶対誰かに指摘されてちゃんと結果的には順番を守っています。

そして今では公園にいくときに必ず確認してるのが、全体的なママ、もしくはパパの表情、雰囲気、顔色。

顔が死んでるママやパパは我が子のことでいっぱいいっぱいの可能性が高いでしょうから、トラブル回避の意味で頭の片隅に置きます。

ムスコが万一絡みにいっても鬱陶しいでしょうからね。やはり、1~2歳の子を持つママ・パパは結構お疲れかなあと思うことが多いですね。多分私もそうだったのでしょう。疲れてた記憶しかないですし。

 

そういう意味ではもしかしたら他者目線でムスコは放置子(最近はネオネグレクト?)と思われているかもしれませんが、知ったこっちゃありません。

本当に知ったこっちゃないってことではないのですが、子育てを含める生活すべてをスムーズに運行しようとするとそうするしかないんですよね。まじで世間様の言うことに耳傾けてたらキリがない。政治家の皆さんもこんな気持ちなんでしょうか。

 

今通っている幼稚園でもあからさまに、親という存在そのものが厄介なんだろうなという先生が2人ほどいて、

なぜかというと子どもたちには見かけるたびに明るく声をかけたり、接しているにも関わらず、対親だと視界にすら入れないーーなんなら挨拶も無視(気づいてない?)なのです。

まあその先生方はこれまで一切かかわりがない(名前も知らない)先生なので、見かければこちらも無視すれば良いという意味ではシンプルなわかりやすい関係ですけれども、闇だなあと思いました。

 

育児って子ども遊ぶだけではないんですよねえ。意外と脳みそ使う仕事だなあと思います。

私も子育て関連の本や動画とかもう数え切れないほど見ましたし、今でも本屋さんや図書館で育児書コーナーを見たりします。

保健師さんや心理士さんとやりとりもありましたが、まあはっきりいうと行政関係の方は正しいことのみ(正論)を押し通してきますので、イラッとすることめちゃくちゃ多いです。まともに相談しようと思うと逆に疲れます。

「うん、それできるならやってる」と思ったことが数回。ぶっちゃけ行政は何かあったときのセーフティネットだよナ・・・。

 

いろいろ試行してみた中で

親自身のマインドでしっくり来たのは明橋大二先生の『子育てハッピーアドバイス』、実用的なのはてぃ先生

癒やし(ママ・パパ同士の連帯感)を求めるならインスタグラムの子育て漫画(ギャグ系)という感じに落ち着いてますかねえ。

単行本にはなりますが、東村アキコ先生の『ママはテンパリスト』は超秀逸。アキコ先生の息子ごっちゃんとうちのコ似てるなあと思いながらちょっと前に読んでました。

ちなみにこの作品の何がすごいかと言うと、この作品を初めて読んだのは私が高校生のときなんです。そのときもごっちゃん可愛いし、先生は面白いしでゲラゲラ笑いながら読んでたんですよ。子どもいないのに面白かったんですよねえ。子育てって面白いんだと思わせてくれた。今であれば悲観的に書くことになるであろうエピソードもちゃんと笑いに昇華できている。アキコ先生ってごっちゃんのこと全然怒らないんですよ。それがほんとに親目線だと尊敬も尊敬。

有名シーン

 

・・・・・・なんか話逸れてますね。

 

そうそう、世間の目を過度に気にしてしまうというのも、最初はしょうがないです。だってわからんもん正解が。やってみて違うなと思えば変えれば良し。

だって親の影響ってそこまで子どもに影響を与えないわけだし、たぶん。

自分の心に従ってやっていきましょう。先は長いぜ( ◜◡◝ )