私が異性関係を意識するようになった最初のきっかけからお話していきましょう。
前回の記事では大学時代の友人のことを書きましたが時系列は同じです。私達が20代のころは街コンという婚活パーティーのライト版のようなイベントが盛り上がりをみせていました。私もその流行りの例に漏れず友人と1~2つきに一度のペースで足を運んでいましたが、そもそも行くことのみが目的になっていて(映画やテーマパークに行くのと同じ感覚)今の旦那と出会うまで誰ともお付き合いどころかLINE交換すらしてませんでした。ちなみに今の旦那と出会ったのが25歳ぐらいだったと思うので、5年ぐらいはそんな感じ。いかに当時の私がやる気もなく、しかも男性方の目を引くような魅力的な部分もなかったかということがわかりますね。
ではなぜ現旦那とは結婚までこぎつけられたのか・・・という話ですが、「もち運命✨️」と言いたいところですが、半分はそうで半分は違う気がします。
といいますのも旦那と出会ったのも街コンだったわけですが、そのときのコンパの雰囲気といいますか私の気分がいつもと違いました。いつもなら男性にときめくということはほぼなく、ほんとにただただその瞬間の会話を楽しむだけ。コンパが終われば関係も終わり。そのあと友達と感想をカフェで語り合うのがメインディッシュといってもいいぐらい。
しかし、不思議なことにその日のコンパは全体的にどの男性もなぜかとても魅力的に見える・・・そんな雰囲気が漂っていました。これはあくまで当時の私主観であることは強調しておきます。なんなら今でも3~4人思い出せる人がいるぐらいなのです。
その中からプロフィールの条件(勤め先、年収、体格、顔)が現実的に自分とマッチした人が今の旦那です。逆にその瞬間まで相手のプロフィール(スペック)などこれっぽっちも興味がありませんでした。
なのでコンパが終わったあとに私はわざわざ旦那にLINE交換をお願いしにいきました。で、実際にごはんなんか行くことになるわけですが、あら不思議。もうときめきタイムは終わっていることに気づきました。
むしろそこから熱心にアプローチいただいたのは旦那側からでした。あとあと私の何がそんなに良かったか理由を聞いてみると「箸がちゃんと使える子だったからいいと思った」と言われました。なんやねんそれ。
とまあここまで書いてわかる通り、私にしても旦那にしても相手が持っている物質的なものに惹かれて結局結婚までこぎつけることになります。
"今の私"なら最初のデート時に「もうときめかねえ」と感じた時点で関係を切ってるなあと思うとやはり巡り合わせは不思議です。時が重要だなあと。ぶっちゃけ私から最初アプローチしている分、なんか無碍にしづらかったというのがあります。それこそこのまま友達同士でも・・・とも感じたこともありますが、これに関しては若さもありますね。「えーい!ままよ!」という。
今になってわかるのですが、わたしはずっと
一人もしくは一つでいいので自分の存在すべてを預けられる相手を欲していました。
要はメンヘラですな。表にはわかりやすく出てこないけど。
あれは忘れもしない小学校1年生のとき。初めて仲良くなった女の子がいて、毎日毎日二人で一緒に遊んでいました。あるとき、休み時間に教室にその子がいないので運動場へ探しにいってみると、他のクラスの女の子と仲よさげに遊んでいるではありませんか。これに非常にショックを受けました。私のことは遊びだったのね・・・ではありませんが、「そうか、私だけが大事じゃないんだなあ」と。
これは対人に限ったことではなく、仕事もそうでした。とにかく何でも一心不乱に一生懸命頑張りました(シゴデキとは言ってない)
お手本のような社畜です。
これはあくまで心の過程の話でまんま行動に出した、出ていたわけではありませんが、このような精神性であれば前記事のような友情関係があったことも、より違和感はないのではないかなと思います。
そんな私なので遅かれ早かれ誰かと「結婚」はしていた気がします。
結婚してからも数年たち、子どもが産まれたことが大きな転機ともなって見かけだけてなく夫婦の絆は強くなっていることを実感しています。
旦那の前ではもうオナラもすれば全力の変顔もできますし、ゾンビにもなれます。家ではいつもムスコとこうしたことで遊んでいるんです。恥も外聞も家では捨てねばなりません。
これは愛なのか・・・?うーん。より彼を人間的に見られるようになったからとでもいいましょうか。
ちょっと最近、例としていいかもと思った夫のやりとりがあったので紹介させていただきます。
少し前に金ローかなにかで『ゴジラ-1.0』やってましたよね。
主人公は特攻隊の生き残りである神木隆之介。
この神木くんの生き様ーー終盤のゴジラに特攻すことを決意するシーンで私と旦那、映画観ながら揉めましてね( ;∀;)
私はこの神木くんの行動がもう許せなくて「ちっちゃい娘置いていくって人として有り得んくない?」「たった一人の娘置いていくとかハア?!」「親の資格なさすぎ」他NGワード。それに旦那がプッチーン!ってきたみたいで「ちょっとお前うるさい」と口論になりました。
なんでこんな映画で夫婦喧嘩せなあかんの?って今でもモヤッてる出来事ですが、でもこの映画男女でみたら絶対揉めませんか?我が家だけ?
昔の価値観だったら違うだろうとも思えない。何も、もし世界滅亡の脅威があったとして、そこに立ち向かおうとする姿勢を攻めてるんじゃないんですよ。
神木くんは特攻隊として生き残ってしまったことになにか罪悪感のようなものを抱いたいました。それを彼は乗り越えなければならなかった・・・ならなかったんだけど、いやいやいや、なんでまた特攻してるん?みたいな。佐々木蔵之介も無理しなくていいって言ってるよね。全然未来(娘)みてないやん。独りよがりのまんまやん。他人の都合で死にに行くんじゃねえーーー!!!
私はこの一連の流れ(ココ!というポイントではなく)が非常に不愉快だったんです。
もし自分自身ムスコを残してこの世を去ったとして、うちの夫が神木くんと同じアクションに出たら、想像するだけで悲しいしそれで思わずキレ散らかしてしまった訳です。
『ルギア爆誕』のときのママさんの心情に非常に近しいものがあります。
まあ完全に伝え方が悪かったなと思ったので今はその感情だけは大切に、落ち着いて言語化していこうと思いました。
ゴジラに関して長くなってしまったんですけど、これは何か製作についての粗云々というより、
男女でーー夫婦ですら愛のカタチって全く違うんだよなということ。これは相手と適度に距離感を保つために必要なものだと思っているので私はむしろ大事にしている部分でございます。
でも人間関係は10年20年でどうなってるか全く予想がつかないのが厄介。
また夫との関係も変わるんだろうなとは思っています(´-`).。oO
というわけで私のひとり人生語りでした。ここまで読んでいただきありがとうございます(*˘︶˘人)