なぜこんなことを書こうと思ったか。
私自身その問答に苛まれた実経験があるのもそうなのだけれど、よく論じられるテーマ性で正解のないものなので、自己開示&整理にちょうどいいと思いましたし、どなたかの心に留め置かれるものがあれば幸いかなということで、今回記事にしてみました。
哲学者ジョセフ・ポパー・リンコイス曰く「一人の人間が死ぬたびに一つの宇宙が崩壊する」
なんだかこの言葉にもグッと来て、私の人生の一部を人の目に触れる場所に書いてみようかなという気になりました。("趣味"ブログって名前やめるか?)
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大学時代とても仲がよかった男友達がいたのですが、その子と現在は音信不通の状態でどこでなにをしているのかも知りません。
当時は自他ともに認められるほどに仲が良く、ごはんを食べに行くことはもちろん、お互いの家で遊んでそのまま泊まるなんてこともありましたし、海外旅行にも行ったことがあります。
そんななかで周りの疑問はただ一つ
「付き合ってないの?」
これは本当に数え切れないほど聞かれました。付き合ってはないんですよ。だって友達ですからね。当時の私からすれば女の友達も男の友達もみんな平等でした。
ただ、そのなかでより抜きん出て仲良かったのがその子だったというだけであって、女の子でも同様のレベルで遊ぶ(泊まったり、旅行に行くような)子もいましたからなんら不思議なことではありませんでした。
そしてよく聞かれる質問その2は
「(付き合ってないけど)ヤッてんの?」ということ。
神に誓ってヤッておりません。
ここからが、少しですが複雑な話になります。まず、その子自体を性的に見たことがなかったのかと聞かれれば、全く無かったわけではありません。穏やかな寝顔を見ているときに何度かドキドキしたことがあったことは認めます。
ですが、日常的にはそんなことを感じたこともなかったし、他の友人とそういった類の話をしながら整理してみてもーー自分の思うところを突き詰めてみてもやはり「付き合いたい」というような感覚には至らなかったわけです。
ちなみにそういったドキドキ・・・という感情の幅がまだ当時は広かったのか、女の子に対しても反応してしまうことがありました。
ただ、子ども産んで感性が180°変わったのもあり、当時の記憶や感覚が曖昧になっているので、「この子がもし異性だったらきっと付き合えたのに・・・」と思うことがあったという部分しか今は思い出せないんですよね。どういったシチュエーションでそう感じたのかとかはもう全然思い出せません。
そして、私自身の性の目覚めについて。
性的なことに反応するようになったのは小学校高学年のころになると思うので、まあ普通なのかな。
ただ、そこからののめり込み方*1が異常で、親には間違いなく気持ち悪がられていました。こののめり込み方は今で言うスマホに近いものがあると思います。
脳内に快楽物資が出ているのがわかるので、どうしてもやめられない。
でも、こんなことをするのは気持ち悪いことだから・・・と思えば思うほどやめられない、と同時に自己嫌悪にも陥っていきました。
要するに性的なことを自らにしているにも関わらず、大切な友人とそんなことはできないという呪縛というか一種の矛盾に陥っていたのではないかなと思うのです。
付き合ってしまうと、ゆくゆくはそういったことを致すのだろうというのは普通であれば考えつくところですよね。
あとは自分がこれ以上傷つくのも嫌だという挑戦の放棄もあったと思います。
しかも、当時の私は全くと言っていいほど女性らしさに欠けていました。これは所作とか精神的な面の話です。
それがどういう状態を指すのかというと「なんかだらしない・不潔感」というのと近いかもしれません。実際客観的に自分を見れていないのでわかりませんが、当時の自分は少なくとも他人への関心のほうが圧倒的につよく、自己のことなど全く顧みてはいなかった自覚はあります。
他者から「もっとこうしたらかわいくなるのに」と男女ともに言われたことも数え切れませんが、なぜがそれを受け入れることができませんでした。あなたに私の何がわかるの?私が可愛くなる?ナイナイ。などいろんな負の感情が渦巻いておりました。なので変なとこが頑固なブスでキモいやつだったかもしれません。
なので私調べの統計ですが、女の子はそういった私を受け止めてくれることは多々あり、男の子(男性)からはむしろ嫌われることのほうが多かったように思います。告白されたこともなければ、そもそも男女グループになってしまった場合においても私は大体空気でした。でもむしろそれで良かったのです。自分に矢印が向いてくるのが今でも少し苦手なので。
対して相手方の男の子は少々女性らしさのある子だなあと思っていました。家の装飾もちょっとキラキラしたものがあったり、料理も上手で、気分の浮き沈みが定期的にあって・・・みたいな。
実際彼の性自認がどうだったかは知りませんが、当時の私としては全く関係のないことでした。だってオスとしては見てませんーー見ちゃいけないと思っていましたからね。
当たり前の結論に行き着きますが、男女の友情は性認識がニュートラルによればよるほど成立するんじゃないかなとは思います。
私の場合は友情の成立はしてますが、その後いつのまにか崩壊してますのでちょっと説得力としては弱いかもしれませんが(;^ω^)
思うに女として、男として生きて付き合っていくことも間違いなく駆け引きのもどかしさや失恋というのような悲しみがあるかもしれません。ただ、それを避けようとニュートラルに行こうとして(当時はそれが逃げの行為だったとは思っていませんでしたが)それはそれでなんの問題解決にもなってなかったのですよね。
いやあこうして書いてみるとなかなか当時の自分は頑張って、もがいていたなあと勝手に感傷に浸っております。
ここまで読んでいただいてありがとうございました(*˘︶˘人)
*1:今で言うセルフプレジャー