余韻が薄らいできているので消えしまうまえに( ˘ω˘ )
眠れる森の美女。最後に観たのいつかなあ。それこそ今のムスコの歳のころは何度も何度も観ていたのでストーリーは覚えていたのですが、久方ぶりに観てみると懐かしさもありながら新鮮さも感じる不思議な作品でございました。
鑑賞後の余韻としてはメリー・ポピンズをちょっと思い出したかなあ、最近観たのもあって。ウォルト・ディズニーのクセもあるのかもしれませんが。
ただ、泣くほどグサグサきたわけではなく、なにか心がジンワリとする感じ。
ディズニー映画の凄み
どこが一番の見どころか・・・敢えて1つ挙げるならば、各キャラクターの作り方でしょうか。
オーロラ姫誕生の日、彼女は妖精たちから贈り物として金色の髪と薔薇のような赤い唇を持つ美貌と美しい歌声を授けられるのですが、マレフィセントの呪いにより人のいない森の奥で妖精たちと暮らすことになります。
人と接触することのなかったオーロラ姫(16)は容姿端麗のみならず清廉潔白、純粋無垢な人物。精神年齢としては幼いままなのに、どこか大人びた気品を持たせる。これってアニメーションとは言えど、作り上げるのってものっすごい難しいことだと思うのです。
のみならず対となるマレフィセントは邪悪で横暴な不幸を象徴したキャラでなければならない。
双方そんな人間いるか?って感じですが、それがないと世界観のバランスがとれない。そしてこれを両立させたのが凄い。各キャラクターの細かい表情や所作。これらはアニメーターや声優の技の妙ですよね。オーロラ姫はどこを切り取っても清楚で綺麗だし(少なくとも不潔感と無縁)、マレフィセントは常に不満気で苛立っている。善と悪のキャラ立てとして全てがドンピシャリ。混じり気なし。
つまるところ、複雑化している現実を分解して綺麗に分かりやすく仕立て直ししてるんですよね。
それがあるので、私は実写マレフィセントは不要派。ヴィランとしての矜持を潰してはならぬ。
没入環境を整える
そしてこの作品、己との対話(イマジネーションフル活用)にもなるので、鑑賞中は他者を干渉する・されるようなことはやめましょう
(‹●›ω‹●›)サア、ディズニーワールドニハイリコムノデス…
映画館で見れるのがベストな映画、間違いなく。
これまでなぜ地上波で放送してこなかったか、なんかわかった気がしました。CMがはいると尋常じゃなく気が削がれる。すごい勢いで現実に引き戻されるのです。
全てはファンタジー
この作品、今どきだと珍しい「育ての親より生みの親」に帰結させている作品。養母が悪どい場合は除き、普通は育てた親のもとに体も心も帰属していくのがお約束。
オーロラ姫は生まれてすぐ親元を離れて16歳まで、妖精たちから一心に愛を受けて幸せに育てられている。にも関わらず、最後はしっかり両親のもとへ帰っていく。育ててきた妖精たちも「これがハッピーエンドね」という。
これがなぜ違和感なく成立するかといえば、この物語のすべてが非現実だからだと思うのです。現実であればこうも上手くはいかない。
だからこその最初から最後まで一貫して夢の世界を壊さない――現実を見せない――姿勢。
世界の構造をシンプルにしていくと残るのは、いや残るべきなのは何か。それが最後王子とダンスをしてキスを交わすシーンに全て詰まってるんですよアー尊い0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
そんなの綺麗事の塊だと言われれば「ハイ、左様でございます」と答えるしかないのですが。
この生きる上での原則とも言うのか。大人になってみると染みますねぇ・・・。キリスト教圏の底力を見ましたわ。ジャパニメーションでこれは絶対表現できない。
個人的にはフローラがフィリップの剣に魔法をかけるシーンが胸熱。
闇の力に真実の愛は屈しない・・・みたいな呪文だったと思うのですが、その剣を投げてマレフィセント倒しちゃうフィリップ王子がカッコいいんですよ。
ムスコじゃなくてムスメだったらプリンセスひと通り履修させてたなあ…などと思う母なのでした。