日がな一日主婦の趣味ブログ

本と映画とエトセトラ

子育ての悩みとは夫婦関係の悩みである

当方アラサーの専業主婦。年少の息子が一人います。夫は私の2つ上です。仕事は土日休みですが、平日の帰宅はだいたい20:30を回ります。

夏休み期間子どもと過ごす時間が増えて、まあ大変でした。こちらのメンタルが。

それは子どもとの時間が苦痛ってことではなく、子どもを通して見える夫の姿(というか私の精神性)に何だかモヤモヤして苛立ったり悲しかったりラジバンダリ。

 

年少さん(現4歳)のムスコですが、子どもの変化は本当に目まぐるしい。

1歳と2歳、2歳と3歳、3歳と4歳。たった1年違いでも別人か?というぐらい身体の面でも心の面でも成長していきます。とにかく最近のムスコは遊んで怪人。かわいいです。

プラレール作ろう!ブロックで遊ぼう!〇〇つくって!戦おう!などなど子どもの遊びのための容量は無限大でその源は他者と遊んでいることそのものから生まれている気がする。公園へ行ってみても誰もいなければ「もう帰る」、誰かいれば積極的に絡みに行くというぐらい特に今のムスコは「誰かと一緒にいたいor何かやりたい欲」が強い。

 

しかも、私が家事をしている間は大人しくYouTubeを見たり、トミカを走らせたりしてちゃんと待っているのです。なんなら「ごめん、そこのお皿こっちにもってきてくれる?」というと文句も言わず持ってきてくれるのです。健気ですよね。少し前まで自分の意思ばかりをゴリ押ししてた子とは思えません。

 

残念ながら体力面ではムスコに敵うことのない私はしばしば「ごめん、ちょっと昼寝させてほしい」と遊ぼう攻撃に白旗をあげてバタンキューすることがありました。

そんな私に「だめ、遊ぶよ」ということもあるけれど「ごめん、ほんとに疲れてるから」というと静かにひとりで遊んでくれますし、「ゆっくり寝ててね」と囁いてくれるときもあります。

困ってると「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と肩をポンポンしてくれるときもあります。

 

これぞ無償の愛。心が浄化されて母は涙が出そうでした。

子どもは良いも悪いもなく素直な分、見返りとか忖度とかそんなものとは無縁なのです。

 

夏休み中のある日、もう晩御飯も終えてじゃあそろそろ歯を磨いてお風呂に入りましょうかというとき。

「桃食べたい」とムスコが言いました。内心「えーー、今片付け終わったとこなのに(;_;)」+疲労感と倦怠感。まあでも桃ぐらい切ってやろうエイヤと切ってやったわけです。で、出しましたら「黄色いのはイヤ。白がいい」と言われました。困りました。今白桃はない、なによりこの切った桃どうしよう、わたしはお腹が空いていない、夫が帰ってくるまでにはまだしばらく時間がある、桃は変色するしできれば今食べたいor食べてほしいってか黄色も白もおんなじ桃なんだから食べろや。と恐らく数秒の間のこうした思考が疲労感を増幅させてしまい、ここで一回ブチギレ。「せっかく切ったのになんでそういう失礼な事言う?」「そんな子は顔も見たくありません」というのをキツめに言いました。

まあでも子どもってそういうもんなんです。素直で正直なのでこれより先に書きました「ゆっくり寝ててね」なんていうのも嘘偽りはないんだろうなと感じることができるのですよ。これぞ純真無垢。

こうして親をキレさせるのは子どもあるあるですがイコール子どもが悪いということではないと思うのです。私はキレてしまったあと、「さっきは怒ってごめんね」という謝罪タイムが必ずあるのですが、そのとき必ず「あなたは何も悪くないよ」というのを最後に添えます。今回で言えば自分の心に素直に「白い桃が食べたい」と言っただけ。そこに一切の悪意ってないんです。それに対し親は(正常な精神状態であれば)上手く食べさせるほうに仕向ける(説得する)ことも可能だったと思いますし、「そっかー白い方だったかー」なんて言ってとりあえず下げる→私と夫で半分ずつ食べる、そもそも「今日は疲れてるからごめんね」といって食べること自体後日に回すなど躱す方法はいくらでもありました。

親がやってやったことを蔑ろにするなんて!という考えは単純なロジック(親=正)になる上、正当化しやすいものですが私としては非常に危険極まりないのでどんな場合でもその思考回路にだけは陥らないようにしています。キレてしまうこと自体は避けられないのだけど自省はセットでないとならないよなと。なので親として私が子に伝えることは「あなたは何も間違っていないよ」と伝えること。まあ親⇄子の感情的関係に限りますけどね。

 

こうして子どものことを大切に神聖に扱おうとすればするほど、夫がさもしい人間に見えてしまうというこの悲しい相関関係を経験されたかたっていらっしゃるのでしょうか、男性・女性関わらず。

大前提として言っておきますと、夫は立派な稼ぎ頭でありながら毎日の朝ご飯の用意、休日は必ずムスコとふたりでどこかしら遊びにつれてってくれます。これ以上やってもらうことはないなというぐらいやってくれています。

なのですが、まあこれ完全に私の人を見る目が歪んどるんでしょうね。何だか見返りを求められているように感じるのです。

妻を一人にしてあげるために子どもと一緒に遊びにいく→僕達が帰ってきたらリフレッシュしてるよね?元気に振る舞えるよね?

僕がいないとチーム回んないんだよー、でも会社ではいつも妻とムスコのこと考えてるよ。家庭が一番→帰宅21:00回る。

言っときゃいいと思ってる?騙されんぞ。

ほんとに家庭が大事ならせめてムスコが寝る前に帰ってこい。

たぶん大人同士のコミュニケーションだからだろうな。言動の裏を読もうとしてしまうのよ。これが疲れる。勝手に疲れてるだけなんだが。夫に対してはどう振る舞うのが正解だろうとか考えてしまうのです。

 

夫婦関係のなかで一番の課題ですよね。こうした内面・感情の言語化や擦り合せがむずい。うまく話せたような気はするけれど、なんだか話終えたあともモヤつきが残る感じ。100%伝わってない感がその原因なのでしょう。

テキストにして渡せばいいんじゃないか?この記事そのまま読めばいいんじゃない?と思うでしょう。これがぶっちゃけ一番やったら駄目な気がしてる。なぜなら文にしてしまうと双方「何をすべきか」に帰結してしまう。テスト問題と一緒になってしまう。違うんよ。家事をやってくれるとか子どもと遊ぶとかいわゆるタスクって従事している側はそこまで深刻に考えていない。だってそれが仕事だし。でも不思議なことに子どもとばかり過ごしていても何か満たされないような感覚がある。それを孤独感というのか・・・。

よく言われる「共感」ってのが求めているものには当てはまる。しかしながら女性が夫(家族)に求める共感は自分でも思うけど無理難題。心というのも複雑で画一的ではありませんからね。「もっとちゃんと私を理解しなさいよ!」という自分を「そんな無茶を相手に押し付けなさんな」ともう一人の自分が常に諭している。

なので女性側が合わせる(合わせよう)と思うしかない。これは相手の問題でなく、私自身の問題なんですよね。その中で生じる自己表現の機会を逃さず、適宜こちらが言葉や行動でさり気なく示していくしかない。「それは嬉しい」とか「それは無いわ」とか、それに相手はどこまで合わせられるのかとか。

ただ、怖いのが実際ここまで冷静に考えることができないのがオンナってもんでとにかく生理前か?ってぐらい「夫婦間の共感問題」になるとイラつきと悲しみいう感情が全面に出てしまう。この解決法って話したくなくてもそこはその感情をぐっとこらえて*1夫婦間で会話をするしか解決方法はない気がします。それは「疲れてる」とか一言でも伝われば一応段々と山はこせるというのが私の持論。実は夏休み中本当にイラつきがピークに来てしまい「もう駄目。きょうしんどい」と夫に言ってみたら在宅ワークにしてくれました。こういうところで甲斐性は見せてくれるため私のメンタルは何とか平穏を保っている次第です。

ちなみに「しんどい」といったことに対して夫は「なんでかなー夏バテかなー」と完全に的を外していました。かわいいなオイ。

 

*1:感情をそのまま出してしまうと更に夫婦関係(に限らず人間関係)は悪化する気がしてる